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ブックマーク / coffeeandcontemplation.hatenablog.jp (2)

  • 『CODA(コーダ あいのうた)』について知っておきたいろう者の視点 - Coffee and Contemplation

    Appleがサンダンス映画祭史上最高額の2500万ドルで配給権を獲得したシアン・ヘダー監督の『CODA(コーダ あいのうた)』。エミリア・ジョーンズの歌唱力、手話シーンの多さもさることながら、『Sing Street(シング・ストリート 未来へのうた)』のフェルディア・ウォルシュ=ピーロの成長ぶりに感激してしまったこともあり、私の今年の暫定ベストと言えるくらい好きだった。 しかし使い古された表現もツッコミどころも多く、完璧な映画では到底ない。特にろう者やコーダ(Child of Deaf Adults=ろう者の親を持つ聴者の子ども)の方から見て、この映画を好きと言うことは傲慢にならないだろうかと気になってしまって、感想を探してみた。 ざっとツイートやブログ記事、YouTube動画を漁っただけだが、当事者の間でも、この映画への評価はだいぶ分かれている。そして、褒めている人も手放しにすべてを絶

    『CODA(コーダ あいのうた)』について知っておきたいろう者の視点 - Coffee and Contemplation
  • 『最後の決闘裁判』は誰のための物語なのか - Coffee and Contemplation

    映画をよく観る人であれば、感想について話すとき、好き嫌いは人それぞれで「だから面白い」と感じる人が多いと思う。私も嫌いな映画はとても多いけど、ただ「つまらない」と感じたものであれば、その作品を好きな人がどんなところを面白いと感じたのかはたいてい楽しく聞くことができる。 しかし、その感想が人の倫理観に及べば、それはもはや映画の内容についての話ではない。『The Last Duel(最後の決闘裁判)』についてのキネマ旬報の「なぜマルグリットは性被害を告発したのか」という文章が「そんな感想もあるだろう」と受け入れられず炎上したのは、そういうことだろう。 私にとっては、この映画が明らかにMeTooをテーマにしているにもかかわらず『羅生門』スタイルを真似ようとしたこと、性的暴行シーンを描いたこと自体が、弱者の尊厳を踏みにじる受け入れられない行為だった。そして、いくら悪気はなかったとしても、その行為が

    『最後の決闘裁判』は誰のための物語なのか - Coffee and Contemplation
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