2010年8月23日のブックマーク (2件)

  • 忘れるという合意 : 池田信夫 blog

    2009年04月06日15:47 カテゴリBooks 忘れるという合意 NHKは、いまだに「ドイツはナチの負の遺産を清算したが、日は・・・」という図式で歴史を語ろうとしているようだが、これは神話にすぎない。書は、欧州の戦後処理がいかに首尾一貫しない中途半端なものだったかを具体的に明らかにしている。 西ドイツが「戦後処理」を終えたあとの1951年、バイエルンでは判事・検事の94%、大蔵省職員の77%が元ナチ党員だった。新たに結成された西ドイツ外交団の43%が元SSで、17%が親衛隊かゲシュタポにつとめていた。アデナウアー首相の主任補佐官は、ユダヤ人の「最終解決策」をつくった責任者だった。公職追放された実業家も1950年代前半には「社会復帰」をとげ、ダイムラー=ベンツやクルップなどの経営者になった。 彼らが復権した理由は、日と同じである。冷戦が始まり、経済の再建に彼らの力が必要だったから

    忘れるという合意 : 池田信夫 blog
    changjong
    changjong 2010/08/23
    「忘れるという合意」でなく、「許しあういたわり合い」が必要だと思う。日本人も、拉致問題が発覚して8年になるが、お互いの憎悪を抑えて理性的に解決する方法を見つけられず、憎悪を利用する勢力が闊歩している。
  • 日本帝国の申し子 : 池田信夫 blog

    2010年08月10日22:18 カテゴリ法/政治帝国の申し子 日韓併合をめぐる首相談話では、「意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました」という部分が論議を呼んでいる。少なくとも国際法上は、日韓併合条約は大日帝国と大韓帝国の合意のもとに署名・捺印された正式の外交文書である。 この条約が日の圧倒的な軍事的優位のもとに締結されたことは事実だが、当時の韓国では「日韓合邦」を主張する民間団体「一進会」が100万人もの会員を集め、皇帝や首相に合邦を求める請願書を出した。李氏朝鮮が破綻し、多くの餓死者が出ている状況を改革するには、一足先に明治維新を実現した日の援助が必要だったからである。 書は、日の「植民地支配」の実態をハーバード大学コリア研究所長が調査して書いた研究書である。日韓併合された1910年には1300万人だった朝鮮の人口は、

    日本帝国の申し子 : 池田信夫 blog
    changjong
    changjong 2010/08/23
    歴史に「もし」はないが、日本に植民地にしてもらったおかげで発展する事ができたと言われる韓国側の心情をその立場になって想像して、同じ事が言えるのだろうか?