日中戦争が勃発した1937(昭和12)年から上海の租界を舞台に抗日スパイとして任務につき、40年に25歳の若さで処刑された女性、鄭蘋如(てい・ひんにょ)が中国で改めて注目を集めている。日本への留学経験がある中国人を父に、日本人を母にもつ蘋如。戦後長らく「漢奸(かんかん)(裏切り者)」の烙印(らくいん)を押されてきたが、蘋如をモデルにした米中合作映画や中国のテレビドラマがヒット。今では「愛国者」と称(たた)えられ、上海郊外に銅像まで建てられた。(上海 河崎真澄)◇ スパイとして蘋如の存在が広く知られるようになったのは、1940年1月に地元紙が報じた「丁黙邨(てい・もくそん)暗殺未遂事件」からだ。 中国の主権の及ばないフランス租界や米英の共同租界、さらに日本人居留地が広がった当時の上海は、いわばスパイ天国だった。 蘋如の父親は、重慶に移って抗日姿勢を強めていた蒋介石国民政権の高官、鄭鉞(えつ)
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