直木賞作家・山口洋子さん死去 3枚 作家で作詞家の山口洋子(やまぐち・ようこ)さんが、6日午前1時6分、呼吸不全のため、入院中の都内の病院で死去していたことが、15日、分かった。77歳。葬儀・告別式は近親者で済ませた。お別れの会については未定としている。 山口さんは、昨年1月に誤嚥性(ごえんせい)肺炎で入院し、その後も入退院を繰り返していた。主治医と日常的に散歩をするなど安定していたが、今月5日になって容体が急変。最期は近親者にみとられ、息を引き取ったという。 山口さんは57年に東映ニューフェイス4期生に選ばれ、女優としてデビュー。68年ごろから作詞活動をはじめ、「よこはま・たそがれ」「噂の女」「うそ」「ブランデーグラス」「アメリカ橋」など数多くのヒット作を手がけた。 80年代に入ってから小説の執筆もはじめ、1985年に「演歌の虫」「老梅」で直木賞を受賞した。一方で、東京・銀座にクラブ「姫
激動の日韓の歴史を描いたドキュメンタリー映画『ふたつの祖国、ひとつの愛~イ・ジュンソプの妻~』公開決定 - (C) 2013天空/アジア映画社/太秦 1940年代、世界が対立を深めた激動の時代に恋に落ちた日本人と韓国人の愛を描いたドキュメンタリー映画『ふたつの祖国、ひとつの愛~イ・ジュンソプの妻~』が、12月に公開されることが明らかになった。 映画『ふたつの祖国、ひとつの愛~イ・ジュンソプの妻~』フォトギャラリー 第2次世界大戦のさなか、三井財閥企業の役員を父に持つ令嬢・山本方子と、朝鮮からの留学生であるイ・ジュンソプは日本の美術学校で出会い、恋に落ちる。戦況が最終局面を迎えた1945年に方子は命がけで海を渡り、故郷に戻ったジュンソプのもとへ嫁いだものの、朝鮮戦争の戦火と貧困に追われ、再び日本と朝鮮の地で離ればなれになってしまう。それでも200通以上に及ぶ手紙をやり取りし、二人はお互いを思
日本人俳優が抗日ドラマに“主役級”で出演、「一番好きな日本人」「もう日本に帰れないな」―中国ネット XINHUA.JP 9月14日(日)23時28分配信 中国・新華網は11日、中国で活躍する日本人俳優、矢野浩二が14日から放送される抗日ドラマに主役級の役どころで出演することを報じた。 【その他の写真】 報道によると、矢野は北京のテレビ局が放送する抗日ドラマ「烽火双雄」に中国俳優の丁海峰らと共に出演。この作品は作家・劉国強の小説「日本八路」を元にしており、矢野が演じるのは抗日戦争当時、中国共産党の八路軍に参加した日本人兵の役だ。厳しい環境の中、日本人兵が中国人兵と民族、信仰を越えて手を取り合う様子を描いた作品だという。 このニュースは中国のインターネット上で注目を集め、ネットユーザーたちからコメントが集まった。一部を拾ってみる。 「矢野浩二、もう日本に帰れないな」 「ずっといい人の役を
戦前・戦中は中国の美人スター「李香蘭」として人気を博し、戦後はジャーナリスト、政治家としても活躍――。 7日に世を去った山口淑子さんの生涯は、激動の昭和を象徴するように、波乱に満ちていた。 中国に渡った日本人夫妻の長女だった山口さんが、「李香蘭」となったのは、1933年。親しくなった家族同士の子は互いに名目上の養子にするという現地の慣習に倣い、父親と親交のあった李際春将軍に名付けられた。 中国人向けの作品を作るという満州映画協会(満映)の方針で、38年に中国人として映画女優デビューし、日本人であることは極秘とされた。同年、中国服を着て初めて日本に来た時には、入国係官に「貴様、日本人か。恥ずかしくないのかとどなられたこともあった」という。 上海の映画会社・中華電影と満映の合作「萬世流芳」は、アヘン戦争100年をきっかけに作られた。中国のトップスターと共演したが、中国が戦う英国を日本に見立てて
"夜来香"原唱李香兰逝世 "七大歌后"唯一外籍歌星 古�B姝 田颖 2014年09月15日07:06 来源:新京报 手机看新闻 李香兰 老上海“七大歌后”中的六位:白虹、姚莉、周璇、李香兰、白光、吴莺音(从左至右)。另一大歌后龚秋霞不在照片中。 李香兰老年资料图。 今宵离别后,何日君再来。日本媒体昨日消息,上世纪三四十年代著名日籍艺人、《夜来香》原唱者李香兰(本名:山口淑子)因心力衰竭于本月7日上午10时42分逝世,终年94岁。据悉,李香兰的葬礼已经在亲属的参加下完成,日后是否举行追思会,目前尚无消息。 李香兰(1920.2.12-2014.9.7) 本名山口淑子,祖籍日本佐贺县的她于1920年2月12日生于奉天省北烟台(今辽宁省灯塔市),22岁到上海发展,24岁以一曲《夜来香》风靡上海滩。1945年日本战败,她以汉奸罪被捕,后因日本公民身份被遣送回日本,改回原名山口淑子继续其
祖国の日本と、生まれ育った中国。日中のはざまで翻弄(ほんろう)されながら、激動の時代を駆け抜けた山口淑子(よしこ)さんが、九十四年の生涯を閉じた。女優「李香蘭(りこうらん)」として、数奇な運命をたどった過酷な体験から、心の中にはいつも戦争への憎しみがあった。 首に巻いたカラフルなスカーフが印象に残る。年を重ねるにつれ、「大和なでしこ」として身だしなみに気を使っていた。 旧満州(中国東北部)で中国語を教えていた父に連れられ、三歳から北京語を学ぶ。「子どものころから日中のレールの枕木の一本になり、親善に役立ちたいと思っていました」。一九九二年九月に本紙が取材した際、日中両国への思いがひしひしと伝わってきた。 「中国は私のふるさと」と断言する山口さん。北京の女学校時代、抗日集会で「日本軍が迫ってきたらどうするか」と決意表明を迫られた時、「北京の城壁の上に立つ」と答えた。日中双方を愛するので、どち
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く