台北メトロ(MRT)を舞台にした映画シリーズ「台北愛情捷運」の発表記者会見が28日、台北市内で行われ、イエ・ティエンルン(葉天倫)監督や北村豊晴監督、キャストのリー・リーレン(李李仁)、グオ・シューヤオ(郭書瑤)らが作品をPRした。
![台北メトロを舞台にしたシリーズ映画発表 日本人監督も参加/台湾 - フォーカス台湾](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/94fdc07a77917af1fa17938365604de9c0f3d7f0/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimgcdn.cna.com.tw%2FJpn%2FWebJpnPhotos%2F1024%2F2015%2F20150529%2F20150529111241.jpg)
台北メトロ(MRT)を舞台にした映画シリーズ「台北愛情捷運」の発表記者会見が28日、台北市内で行われ、イエ・ティエンルン(葉天倫)監督や北村豊晴監督、キャストのリー・リーレン(李李仁)、グオ・シューヤオ(郭書瑤)らが作品をPRした。
清朝最後の皇帝で「ラストエンペラー」として知られる愛新覚羅溥儀の実弟、溥傑(1907~94年)の次女で、兵庫県西宮市在住の福永●(=女へんに雨、その下に誇のつくりで大を取る)生(こせい)さん(75)が所蔵していた、愛新覚羅家ゆかりの写真や手紙などを展示した企画展「愛新覚羅家の人びと」が、同市上ケ原一番町の関西学院大博物館で開かれている。7月18日まで。 福永さんは平成25年、同博物館のオープンにあわせ愛新覚羅家ゆかりの写真など約千点を寄贈。今回はこのうち約60点が公開されている。 溥傑は来日していた昭和12年、昭和天皇の遠縁にあたる嵯峨浩(ひろ)と結婚。福永さんら2人の娘に恵まれた。しかし、日本の敗戦に伴い満州国が消滅し、溥傑はソ連の収容所に収容された。福永さんらは中国から命からがら引き揚げ、一家が再会したのは36年だった。その後、福永さんは日本に帰化し、結婚。47年の日中国交正常化後、溥
2015年05月28日00:00 カテゴリ通算記事 昭和13年の李香蘭⑥「初めての日劇」 李香蘭と日本劇場(現・有楽町マリオン)と言えば、昭和15年2月11日の「日劇七周り半事件」 が起きた「歌ふ李香蘭」(昭和15年2月11日〜2月17日)が有名だが他に出演した公演としては、 「エノケンの西遊記」(昭和13年10月19日〜10月31日) 「乙女と兵隊」(昭和14年11月28日〜11月12日)【1】 山口淑子時代には、「サヨナラ日劇フェスティバル」最終日の特別出演(昭和56年2月15日)がある。 また「歌う不夜城」(昭和24年1月1日〜1月9日)で藤山一郎と共演、「歌ふ李香蘭」と同じ白井鉄造の作・演出で「椿姫」をやる予定だったが、山口淑子本人の急病で不参加となった。【2】 社会事件となり、日本人報道が出るきっかけとなる等、李香蘭にとって切っても切れない場所である日劇。 今回は李香蘭が、初めて
中国共産党が米国の最強ヒーローと相まみえることはまずない。だがこの5月、コミックスの中で活躍するスーパーヒーローたちが登場する米国映画「アベンジャーズ」シリーズの最新作が中国の映画館を“襲った”。中国製の記録映画「疾風の9日間」(原題「疾風九日」)の上映開始から数日後のことである。 「疾風の9日間」のテーマは超大国の関係だ。1979年 に米中が国交を回復した直後に鄧小平氏が米国を訪問した。この9日間を描いたドキュメンタリーである。アベンジャーたちは人類を滅亡の危機から救うために戦うが、鄧小平氏は中国の国民を飢餓から救わねばならない。 現政権の主張を鄧小平の口を借りて訴える この伝記映画には外交上の目論みもある。今年9月に習近平氏が国家主席として初訪米するのに先立ち、中米関係のイメージをアップさせたいのだ。 この伝記映画は、1978〜1992年まで中国の指導者だった鄧小平氏の印象を利用するこ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く