インタビューに答える中国人人気ブロガーの唐辛子さん 在日中国人の目から見た日本人の日常生活を伝えるため、中国語のブログや中国版の短文投稿サイトに文章を載せている。小学生からお年寄りまで幅広い読者がいるが、メーンは20代、30代でしょうか。 一つの記事に100万以上のアクセスがある日もあり、日本に興味を持つ中国の若者はそれだけ多い。彼らは、テレビや新聞が流す日本の情報が全てではないと知っている。 日本の右翼の成り立ちや活動を取り上げたこともあるが、大半はマナーの良さや学校、祭りなど、普通の日本人の暮らしぶりを伝えている。利益も圧力も関係ないので本当のことを自由に書く。 日本の良い面を中国人にも分かってほしいと思っている。「本当に中国人か」と批判もあるが、称賛コメントもたくさんもらう。批判的だった人から「辛子姐姐は真実を書いている。日本の印象が変わった。謝ります」と感想が来たこともある。 日系
47NEWS > 共同通信PRワイヤー > 50年ぶり復活の「明治大学出版会」が『リバティブックス』シリーズなど3冊を初刊行!~全国書店で発売~ 2012年4月10日 明治大学 50年ぶりに“復活” 「明治大学出版会」 『リバティブックス』シリーズ など3冊を初刊行! ~全国の書店にて発売開始~ 明治大学の出版部門が50年ぶりに復活する形で、昨年新たに設立された「明治大学出版会」がこのほど、『明治大学リバティブックス』と題する叢書(シリーズ版)2冊など、書籍3冊を初めて刊行しました。いずれも、全国の書店にて発売中です。 今回出版されたのは、▽50年以上にわたり約60本の映画作品に携わったアメリカの映画監督・脚本家ビリー・ワイルダーの深層に迫る『ビリー・ワイルダーの映画作法』 ▽日本と中国語圏の近現代史を映画から考察する『中国・台湾・香港映画のなかの日本』 ▽日本陸軍登戸研究
▽南京虐殺と2人の監督 映画監督山中貞雄が日中全面戦争で入営したのは、1937(昭和12)年8月末。遺作「人情紙風船」が公開された日だった。「『人情紙風船』が遺作ではチトサビシイ」という言葉を残して戦場へ。そして、山中を見送った親友の小津安二郎も、毒ガス部隊員として翌月召集される。2人の部隊はいずれも、当時の中国国民党政府の首都・南京を目指した。山中の部隊は南京攻略戦に加わり、小津の部隊は間に合わなかった。 2人は翌年、南京近郊で1度だけ再会する。そのときの2人の心中を想像する。上海から南京へ進攻する間、日本軍は各地で、小規模だが南京虐殺と同様の行為を起こしている。2人の映画監督は、自らは手を下さなかったとしても、それを現認したことは間違いない。小津が従軍中に記した「創作ノート」にも、現場に居合わせたとしか思えない、中国人老女の殺害行為が書かれている。戦場の現実を前に、2人が交わした言葉は
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