日本人で初めてチベットに入った人物は誰か。河口慧海(えかい)(一八六六― 一九四五年)の名がよく挙げられるが、それより先に実現した二人の日本人がいた。能海寛(のうみゆたか)(一八六八― 一九〇一?)と寺本婉雅(えんが)(一八七二― 一九四〇)という浄土真宗大谷派の僧である。その二人が日本に持ち帰った仏典などを紹介する大谷大学博物館(京都市北区)の企画展は、歴史に埋もれた二人の再評価を促しそうだ。(武藤邦生) 能海寛ら僧侶の軌跡 能海は島根県浜田市の寺に生まれた。東本願寺で得度し、慶応義塾、哲学館(現・東洋大)などで学んだ。 チベットへと目を見開かせたのが、英・オックスフォード大でも仏教研究をした南條文雄(ぶんゆう)だった。当時のチベットは、周辺からの侵攻にさらされるなど情勢が不安定で、旅には大きな危険を伴ったが、南條から仏教研究の方法論などを学んだ能海は、仏典を求めてチベット行きを決意。