2008年12月23日のブックマーク (3件)

  • 「コミュニケーション能力」について考える - 琥珀色の戯言

    コミュニケーション能力という幻想 - ハックルベリーに会いに行く(2008/12/21) ↑のエントリを読んだことをきっかけに、「コミュニケーション能力」について思いついたことなどあれこれと。 最初に頭に浮かんだのは、押井守監督のこんな言葉でした(押井監督の著書『凡人として生きるということ』より) 僕には友達と呼べる人はいないし、それを苦にしたことはない。年賀状にしても、こちらから出すのは毎年ふたりだけ。師匠ともうひとり。さすがに出さないと失礼と思われる大先輩のふたりを除いて、年賀のあいさつを出す相手もいない。 だから、正月にうちに配られる年賀状はどんどん減ってきた。それでもいいと僕は思っている。他人とのコミュニケーションは、こんな僕でも大事だ。いや、多くの人の才能に支えられて映画を作る僕のような人間には、コミュニケーションほど大切なものはない、と言ってもいいだろう。 だが、それはあくまで

    「コミュニケーション能力」について考える - 琥珀色の戯言
    chazuke
    chazuke 2008/12/23
  • 意志だけではコミュニケーションは成立しない - シロクマの屑籠

    「コミュニケーション能力に欠けている」などという考えは、即刻捨てた方が良い。そして今から、「自分はコミュニケーションする意志が少ないのだ」と思うと良い。 そうすれば、問題点がクリアになる。そして全ての問題がそうであるように、問題点をクリアにすることが、問題解決への第一歩だ。 http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20081221/1229832078 海外旅行で、英語も通じないような街で意思疎通を図る場合などは、コミュニケートしようとする意志の強さが確かにモノを言う。だから意志の強弱がコミュニケーションの重要なファクターだ、というのは同意できる。 しかし、意志さえたっぷりあればコミュニケーションが成立するかと言ったら、それは違うと思う。 コミュニケーションの意志だけは豊富で、技能が拙劣な人 行動学上のコミュニケーションの定義を参照するなら*1、コミュニケーションと

    意志だけではコミュニケーションは成立しない - シロクマの屑籠
    chazuke
    chazuke 2008/12/23
    これはこれで「?」
  • コミュニケーション能力という幻想 - ハックルベリーに会いに行く

    増田にこんな記事があった。新卒時の面接でさえなかなか通らない位コミュニケーション能力に欠けている。(中略)コミュニケーション能力がない人間は職もないとじわじわ選択を迫るのならいっそのこと殺してほしい。30歳で死のうと思っている ここで増田は「コミュニケーション能力」などと言っているが、しかしそれは幻想だ。コミュニケーションは「能力」ではない。「意志」である。アメリカという国そのものの礎を築いたベンジャミン・フランクリンは、自分のつたない話し方が長年のコンプレックスだったらしいが、長じるに連れ、「むしろつなたない話し方の方が多くの人が丁寧に聞いてくれることに気付いた」と言っている。そこから、人前で話すのが億劫ではなくなったそうだ。 「コミュニケーション能力が低い」などというのは言い訳に過ぎない。要は「コミュニケーションしたくない」というだけなのだ。する意志がないだけなのである。それを能力など

    chazuke
    chazuke 2008/12/23
    いやはや。