中国湖南省省村に住む男性は、茶色い昆虫を触った後に皮膚の発疹と激しいかゆみに悩まされていた。このことをネットで探していた男性は「茶色の甲虫は毒を持っており、下手すると死ぬこともある」という文章を見た。 この文章を書いた人は自分を医師と自称しており、「毒が広がる前に指を切断しなければいけない」と説明。男性は驚き自分の右手の人指し指を切断してしまった。 男性は指を切った直後に重度の出血で倒れ、家族が病院に運び、9時間の手術で指と命を救うことが出来たという。 男性が触った虫はカブトムシで、医師はこれに対して「カブトムシが皮膚炎を起こすことはあるが、死に至ることは無い、ネットの嘘情報を鵜呑みにないでほしい」とした。
数えで7年に1度開かれる長野県の諏訪大社の御柱祭は、3日から上社の御柱を境内に建てる「里曳き」が始まりました。 3日から上社の「里曳き」が始まり、道中の安全を祈願したあと、午前7時半ごろ、御柱が安置されていた御柱屋敷から、最初に最も太い「本宮一之柱」が引き出されました。氏子たちは長さ17メートルの御柱を「ヨイサ、ヨイサ」と声を掛け合いながら運んでいきました。 3日は好天に恵まれ、沿道に詰めかけた観光客たちは力を合わせて御柱を引く氏子たちを写真に収めていました。 千葉県から訪れた47歳の男性は「地域の人たちが協力して一生懸命に取り組む姿に感動します。7年に1度のお祭りですから氏子の人たちの気合が感じられます」と話していました。 4日は諏訪大社の上社前宮で運んできた御柱を社殿を囲むように建てる「建御柱」が行われます。
オタクの聖地といえば秋葉原だと思っている人が多いと思いますが、最近は池袋が熱いっ! 池袋を知っていますか? 池と袋。 何故、池と袋なんでしょ。 袋型の池があったから、池袋と呼ばれるようになったそうです。 ちなみに、沼と池の違いを知っていますか? 沼は自然に出来たもの、池は人工的に出来たもの、それ以外は池沼(爆) 美女(みめい)が池袋をウロチョロしてきました。 池袋 ■目次 ▶イケメンカフェとメイドカフェ ▶コラボレーションカフェ ▶乙女ロードと猫カフェ ▶まとめ イケメンカフェとメイドカフェ このビル凄くないですか? 池袋東口サンシャイン通りなんですけど、イケメンカフェとメイドカフェとメイド居酒屋が入っています。 このビルの下で、よくイケメンカフェのバイトやメイドカフェのバイトがチラシを配っているんだけど、かなり引きます。 イケメンカフェの人は学生服でチラシ配り。 メイドカフェの人はメイド
昨年秋に40代一般男性との婚約を発表したタレントの川村ひかる(36)が先月、婚姻届を提出していたことが2日、わかった。川村は「とても心配性な彼とズボラな私ですが、二人でバランスを取りながら楽しく過ごしていきたいと思っております」と喜びのコメント。 【写真】美脚健在! ミニスカートからの白肌まぶしい川村ひかる 人気グラビアアイドルとして一時代を築き、現在は健康管理士やジュニア野菜ソムリエなどの資格を生かした活動を行っている川村。3年前に参加した漬物イベントでは「そろそろ私も浅漬けではなく古漬けになってきました…行く準備はできてます! あとは出会いだけです!」とアピールしていたが、その翌年に運命の出会いが訪れた。 その運命の日、もう一つの転機が彼女にのしかかってきた。「彼に出会ったゴルフの日、急に激しい頭痛に襲われたのですぐにMRIの検査の予約をして、動脈瘤が見つかりました。その日は私にと
(CNN) 16年前に雪崩に巻き込まれて行方不明となっていた世界的な登山家のアレックス・ロー氏と撮影隊の1人、デービッド・ブリッジス氏の遺体がヒマラヤ山脈で発見された可能性があることが2日までに分かった。 アウトサイド・マガジン誌(電子版)によれば、ロー氏とブリッジス氏の2人は1999年10月5日、ヒマラヤ山脈にある世界で14番目の高さのシシャパンマでスキーができる場所を探していた。その日、大規模な雪崩が発生し、2人は巻き込まれた。同行していた登山家のコンラッド・アンカー氏らが捜索を行ったものの、2人が発見されることはなかった。 アレックス・ロー慈善財団によれば、アンカー氏がこのほどシシャパンマを訪れた登山家2人から連絡を受けた。それによれば、氷河から姿を現した2人分の凍った遺体に遭遇したという。 財団の声明によれば、遺体が身につけていた衣服や装備からアンカー氏は遺体がロー氏とブリッジス氏
横浜に生まれ29年、そして自称横浜市観光大使になって早10年。 今は都内の旅行会社でOLをしていますが、昔はラジオパーソナリティになりたいなんて思っていた時期もありました。 大学も東京の某私立大学に通っており、東京出身の子たちが地方から上京してきた子たちに静かな地方マウントを取っている中、私は横浜出身であることを誇りに思っていました。 もちろんそれを声を大にして言っていた訳ではありませんが、私は物心付いた頃から横浜が好きでした。 それは単なる「地元愛」とは別の、「横浜が好き」という横浜の魅力に惹かれていたのだと思います。 そんな気持ちがあったのと、人前で話したり歌ったりすることが好きだったので、なんとなくラジオパーソナリティに憧れていたんです。 そんな夢も周りの就職活動の気流に飲み込まれてどっかに行ってしまいましたが。 今の生活もそれなりに、というかとても楽しく充実した日々を過ごしているの
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