2007年12月25日のブックマーク (1件)

  • 倫理的であること - Arisanのノート

    日曜の深夜、薬害肝炎訴訟の原告たちの姿を描いた日テレビ系のドキュメンタリー番組を見た。 見ていて一番複雑な気持ちになったのは、雨が降るなか傘もささず路上でビラを配ったり、署名を集めたりしている原告(患者)たちの姿である。 被害を受け、裁判をおこした当人たちだから当然といわれるかもしれないが、多くは重病に蝕まれている当人たちばかりが活動の現場に立っている姿には、見ていて罪悪感のようなものを感じた。 もちろん、当人たち自身が主体となって行動するということには、さまざまな意味があることは分かる。また、なんのかんの言っても自分の身に事が降りかかっている人でなければ、なかなか十分な行動をすることが出来ないというのも、その通りだろう。 だが、今の日の社会では、「自分の身に降りかかっている人」と、そうでない人たちとの間が、あまりにも大きく開いているという感じは強い。 その結果どういうことが起きるかと

    倫理的であること - Arisanのノート
    chiaki25
    chiaki25 2007/12/25
    “そのことに疚しさを覚えているという事実(つまり、自分のなかに倫理的な生の芽があるという事実)を否認したい人もおり、その人たちの一部は、他人のなかに芽生えたものまで摘んでしまおうとすることがあるのだ。”