エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント2件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
倫理的であること - Arisanのノート
日曜の深夜、薬害肝炎訴訟の原告たちの姿を描いた日本テレビ系のドキュメンタリー番組を見た。 見ていて... 日曜の深夜、薬害肝炎訴訟の原告たちの姿を描いた日本テレビ系のドキュメンタリー番組を見た。 見ていて一番複雑な気持ちになったのは、雨が降るなか傘もささず路上でビラを配ったり、署名を集めたりしている原告(患者)たちの姿である。 被害を受け、裁判をおこした当人たちだから当然といわれるかもしれないが、多くは重病に蝕まれている当人たちばかりが活動の現場に立っている姿には、見ていて罪悪感のようなものを感じた。 もちろん、当人たち自身が主体となって行動するということには、さまざまな意味があることは分かる。また、なんのかんの言っても自分の身に事が降りかかっている人でなければ、なかなか十分な行動をすることが出来ないというのも、その通りだろう。 だが、今の日本の社会では、「自分の身に降りかかっている人」と、そうでない人たちとの間が、あまりにも大きく開いているという感じは強い。 その結果どういうことが起きるかと
2007/12/26 リンク