飯野賢治 Kenji Eno @kenjieno 間もなく講談社ファウスト編集長、太田克史( @FAUST_editor_J )Twitter勧誘記念Twi対談スタート! 互いに「@」付きでツイートしますんで、双方をフォローするか http://bit.ly/8CzcKp でお楽しみください。 #enota 2009-12-02 22:00:59
![講談社ファウスト編集長、太田克史×飯野賢治 Twi対談](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/7081baf9ab5f620380a77e542d60908849444877/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2F67534a6a5ae52823d48341fc0acbeab6-1200x630.png)
id:y_arimのブログにある滝本竜彦の記事読んでいてさ、大大大ファンの滝本竜彦の近況が久しぶりに読めて、本当に幸せな気持ちになっていたワケ。俺も頑張らなきゃなぁって思ったりね。はてブもしっかり読んでみんながタッキーを好きなのを再確認したりさ。 でもさぁ、せっかくの幸福な気分だったのに、ついでに読んだトラックバックの中にある一つの記事に、俺の心臓はエグられたんだ……。 http://d.hatena.ne.jp/kossetsu/20081025/p1 これだよ、これ。 あのさァ、俺はこれまでファウスト賞と流水大賞への投稿経験があるの。自称したくはないけどワナビーなんだよ。 投稿するたびに落とされ、酷評され、痛い子扱いされたりしたわけだ。でも、俺は悪く言われてもそのことには怒りを感じてなかったよ。 むしろ、素人の作品をキチンと批評してくれる良い人たちだと思ってたよ。その言葉を糧に修練を重
パンドラ Vol.2 SIDE-A(2008AUTUMN) (2)作者: 講談社BOX出版社/メーカー: 講談社発売日: 2008/10メディア: 単行本10月9日、文芸雑誌『パンドラ vol.2 SIDE-A SURVIVAL ISSUE』が発売になりました。次代を切り拓く若手小説家が一冊に集められており、見た目も中身もブ厚く総ページ数はなんと968ページ。『日日ノ日キ』でお馴染みのはてなダイアラーである吉田アミさんや、フリーウェアゲームサークス『アンディーメンテ』のジスガルド氏こと泉和良さんも目次に名を連ねています。 この雑誌でもう一人、はてなで日記を書いている人がデビューをしていることに皆さんお気づきでしょうか?「パンドラエッセイ」と銘打たれたコーナーにてその人は文章を書いています。■パンドラエッセイ『ポテトサラダがまずいんだ !』森にえ 335『秘密の花園』 撫子凛 422『パンド
僕がこの人を知ったのは大学のときで、中野で映像版『多重人格探偵サイコ』のリミックス映画(元の映像版は三池崇史が監督を務めWOWOWで放送されたもので、それをマンガの原作者である大塚英志が編集し直して映画にしたもの)の上映会があり、その上映前に行われたトークショーで大塚英志に紹介されていたのが佐藤友哉だった。 この出会いからして痛々しい。何が痛々しいかといえば、自分のサブカルかぶれっぷりが痛々しい。さらに言うとステージでは「お土産を持ってきました」とSTUDIO VOICEのエヴァンゲリオン特集号が取り出され、それは「みんな引いてるじゃないですか」というようにネタとして使われていたのだが、僕はまだそれを大事に持っていた。たぶんいまでも実家の本棚に残っている。 僕自身の痛々しさはどうでも良い。ここで大塚英志が佐藤友哉を評して、次のようなことを言っていた。 佐藤友哉の作品は、その個々の要素だけを
絵の超初心者ド下手くそ人間が、20日間絵を描いて感じたこと わたしは、「文の人」だ。絵を描くのは大の苦手。 そんなわたしが、ひょんなことから絵を描き始めた。 そうしたらおもしろくなって約20日間、なにがしかを描きつづけている。 未知の領域での挑戦は、発見が多い。 また、ここまで絵を描けない人間の挑戦は、あまりネッ…
■サブ・カルチャー的な「私」としての僕たち。 その13-a すでに多くの場所で言及されていると思うが、「まえがき」によれば〈マンガ表現のシステム論的解析〉となる『テヅカ・イズ・デッド――ひらかれたマンガ表現論へ』という本のなかで、伊藤剛は、マンガという表現において、身体を読み手に意識させる要素の、その在り方あるいは立ち方を、「キャラ(Kyara)」と「キャラクター(character)」の二項に分割している。 〈「キャラ」を定義するとすれば、次のようになる〉と伊藤はいう。 多くの場合、比較的に簡単な線画を基本とした図像で描かれ、固有名で名指されることによって(あるいは、それを期待させることによって)、「人格・のようなもの」としての存在感を感じさせるもの 伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』 また〈一方「キャラクター」とは〉として、以下のような定義を行う。 「キャラ」の存在感を基盤として、「人格」
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