ブックマーク / t-s.hatenablog.com (9)

  • 御史の真実 - てぃーえすのメモ帳

    上使尚書劾奏章「知(馮)野王前以王舅出補吏、而私薦之、欲令在朝阿附諸侯。又知張美人體御至尊、而妄稱引羌胡殺子蕩腸、非所宜言。」遂下(王)章吏。 (『漢書』巻九十八、元后伝) 臣聞許美人及故中宮史曹宮皆御幸孝成皇帝、産子、子隠不見。 (『漢書』巻九十七下、孝成趙皇后伝) 長沙定王發、發之母唐姫、故程姫侍者。景帝召程姫、程姫有所辟、不願進、而飾侍者唐兒使夜進。上醉不知、以為程姫而幸之、遂有身。已乃覺非程姫也。及生子、因命曰發。 【注】 索隱、姚氏按、釋名云「天子諸侯羣妾以次進御、有月事者止不御、更不口説、故以丹注面目旳旳為識、令女史見之」。王察神女賦以為「脫袿裳、免簪笄、施玄旳、結羽釵」。旳即釋名所云也。說文云「姅、女污也」。漢津云「見姅變、不得侍祠」。姅音半。 (『史記』巻五十九、五宗世家) どうやら、古代において皇帝が寵姫とセクロスすることを「体御」「御幸」「御」などと言ったらしい。 「御

    chincho
    chincho 2013/01/27
    御来賓(意味深)にもなるんだね。
  • 『三国志』には載らない人物 - てぃーえすのメモ帳

    叙目 漢涿郡高誘撰 (略) 自誘之少、從故侍中同縣盧君受其句讀、誦擧大義。(略)建安十年、辟司空掾、除東郡濮陽令。(略)至十七年、遷監河東、復更補足。(略) (『淮南子』高誘叙目) この高誘さん、『淮南子』や『呂氏春秋』の注釈者として今も名と功績を残しているが、彼が後漢末の人間で、盧植より教えを受け、曹操の元で働いていたということは世の三国志ファンのほとんどが知らないのではないだろうか。 『三国志』および注には見えない人物のようである。 これは妄想の類だが、劉備と同郷かつ同門であるから、お互いに面識があったとしても不思議ではない。

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    chincho
    chincho 2010/05/21
    高誘って後漢末の人だったのか・・・。
  • ジェリコの壁 - てぃーえすのメモ帳

    六年冬十月、令天下縣邑城。 (『漢書』高帝紀下) 漢の高祖は皇帝に即位してまもなく全国の県に対して「城壁を築け」という命令を出した。 古代において、県はそれぞれがメルキドのような城塞都市であったが、高祖が統一した時点ではそうではなかったのだ。 三十二年、始皇之碣石、使燕人盧生求羨門・高誓。刻碣石門。壞城郭、決通隄防。 (『史記』秦始皇紀) なぜかというと、始皇帝が城壁破壊を命じたから。 秦末漢初、項羽や劉邦、韓信らが次々と各地を侵略しているのは、都市の防御力が著しく低下していたことにも一因があると思われる。

    ジェリコの壁 - てぃーえすのメモ帳
    chincho
    chincho 2010/04/27
    刀狩チックなことをやっていたのは聞いたことがあったけど、城壁破壊までやってたのか。
  • 『漢書』注釈の流行 - てぃーえすのメモ帳

    『漢書』が後漢に編纂されて以来、多くの知識人が注を付けた。 何故か、三国時代に知識人の間で流行したようだ。 それを集大成したのが唐の顔師古。彼の「漢書序例」には後漢末、三国時代の注釈者の名前が数多く収録されている。 そいつらの名前を見てみよう。 荀絓字仲豫、潁川人、後漢祕書監 服虔字子慎、滎陽人、後漢尚書侍郎、高平令、九江太守 應劭字仲瑗、汝南南頓人、後漢蕭令、御史營令、泰山太守 この人たちは有名。 少なくとも三国志ッ娘なら応劭忘れちゃダメ。 ちなみに荀悦は『漢紀』で皇帝の名をバラしてて、それが『漢書』の注として収録されている。 伏儼字景宏、琅邪人 劉紱、北海人 鄭氏、晉灼音義序云不知其名、而臣瓚集解輒云鄭紱。既無所據。今依晉灼但稱鄭氏耳。 李斐、不詳所出郡縣 李奇、南陽人 正体不明な人たち。 訒展、南陽人、魏建安中為奮威將軍、封高樂鄉侯 南陽の訒氏、つまり光武帝の親戚で後漢一代の貴族だ

    『漢書』注釈の流行 - てぃーえすのメモ帳
    chincho
    chincho 2009/08/27
    応劭は『漢官儀』も編纂してるし漢研究には欠かせない人なのに知名度低い・・・/鄧展と応劭と蘇林と孟康はゲームでエディット済
  • 曹操の不思議 - てぃーえすのメモ帳

    曹操の一族のことを考えてみると、不思議なことにぶち当たる。 たとえばこんな感じ。 まず、曹操には実弟が居たはずなのにやたら影が薄い。 父と共に徐州で散ったからかもしれないが、なんかその名前さえ定まっておらず、どうにも不思議な感じ。 母の一族は皇帝でいえば外戚であり、この手の覇業では同姓の血族と共に極めて重要な役目を果たす場合が多いのだが、曹操の場合はどうも影が薄い。 (そもそも曹操は生母が不明) じゃあいなかった(活躍しなかったのか)というと、曹嵩(曹操の父)の正丁氏と同じ丁姓の者が曹操の覇業を助け、あるいは中枢に加わっている。なんか関係ありそうだがどうもはっきりしない。

    曹操の不思議 - てぃーえすのメモ帳
    chincho
    chincho 2009/08/24
    曹安民が長生きして活躍すれば曹操の弟の正確な名前や事績が残されたかもしれないのに!
  • 大司馬について - てぃーえすのメモ帳

    漢王朝の大司馬について。 漢には大司馬という官があったが、時代によってその中身が変わっている。 まず、大司馬は漢の武帝の時代、衛青、霍去病に対して与えられたことに始まる。 これはどうやら将軍筆頭、とでもいうべき称号のようで、大司馬のみでは兵を率いる権限や独自の組織を持たなかった。 その後、前漢末まで大司馬は最高位の将軍に加えられる称号であった。 前漢末、官制改革があり、大司馬の官もその対象となった。 具体的には、「大司馬+将軍」が「大司馬」だけとなり、最終的には三公の筆頭として位置づけられたのである。 ここで重要なのは、この時の大司馬は独自の組織と、三公の一つという独自の職務を持つようになったこと、およびその前身が将軍であったことである。 これ以降、大司馬は三公筆頭という行政の長としての面と、最高位の将軍が改称したという軍事的な長という面との二つの面を持つようになったと言える。 新王朝や後

    大司馬について - てぃーえすのメモ帳
  • キングダム - てぃーえすのメモ帳

    実のところ、ここにアクセスしてくる人のリンク元が「王騎」とか「秦の怪鳥」とか「昌平君」とかの検索結果であることがとても多い。 なので、せっかくだからここで秦の統一前後の歴史を題材にした某漫画のネタバレにもなりそうなことを列記してみようと思う。 某漫画は主要な登場人物の多くが『史記』の秦の歴史から取られているが、『史記』「王騎」なる人物は存在しない。 始皇帝(秦王政)が秦王に即位した当初の将軍である王齮([歯奇]という字)と活躍時期が重なり、かつ名も半分共通しているので、なじみの無い漢字であることからわかりやすいように改変したものかと思われる。 ただし、この王齮は秦の昭王(始皇帝の曽祖父)時代の将軍王齕([歯乞])と同一人物であると『史記』注などで言われている。 某漫画では「六大将軍」の一人として「王騎」とは別に「王齕」が挙げられていたので、「王騎」=「王齮」であっても「王騎」=「王齕」では

    キングダム - てぃーえすのメモ帳
  • 前漢の皇后 - てぃーえすのメモ帳

    前漢の皇帝の妾について。 漢の文帝の母薄氏は元は魏王豹の妾であった。 漢の武帝を生んだ景帝の皇后王氏は金王孫という男のとなって娘を生んでいたが母によって皇太子の妾にされた。 戻太子を生んだ武帝の衛皇后は微賎の出の芸者であった。 宣帝を生んだ史皇孫の王夫人もまた貧しさから身売りして芸者となり、そこから皇太子家に身請けされた。 元帝の母の宣帝の許皇后は欧侯氏との結婚が決まっていたが結婚直前に相手が死亡し、宣帝と結婚することとなった。 宣帝の皇后となった長陵の王氏も結婚が決まると相手が死ぬ、ということが何度もあった。 成帝の母の元帝の王皇后、いわゆる元后も許婚が死亡して結婚できなかった。 成帝の皇后となった趙飛燕もまた微賎の出の芸者であった。 芸者率と許婚に先立たれる率が異様に高い。

    前漢の皇后 - てぃーえすのメモ帳
    chincho
    chincho 2009/06/21
    "長陵の王氏も結婚が決まると相手が死ぬ、ということが何度もあった。"/王氏との婚約=死亡フラグ
  • ある能吏の記録 - てぃーえすのメモ帳

    又兗州從事薛悌與碰協謀、卒完三城、以待太祖。 (『三国志』程碰伝) 魏略苛吏傳曰、思與薛悌、郤嘉俱從微起、官位略等。三人中、悌差挾儒術、所在名為輭省。嘉與思事行相似。文帝詔曰「薛悌駁吏、王思、郤嘉純吏也、各賜關內侯、以報其勤」 (『三国志』梁習伝注) 太祖征張魯、教與護軍薛悌、署函邊曰「賊至乃發」。 (『三国志』張遼伝) 初、矯為郡功曹、使過泰山。泰山太守東郡薛悌異之、結為親友。戲謂矯曰「以郡吏而交二千石、鄰國君屈從陪臣游、不亦可乎!」悌後為魏郡及尚書令、皆承代矯云。 (注)世語曰悌字孝威。年二十二、以兗州從事為泰山太守。初、太祖定冀州、以悌及東平王國為左右長史、後至中領軍、並悉忠貞練事、為世吏表。 (『三国志』陳矯伝) 時軍師杜襲、督軍薛悌皆言明年麥熟,亮必為寇,隴右無穀,宜及冬豫運。 (『晋書』宣帝紀) 太尉司馬懿、尚書僕射衛臻、尚書薛悌、中書監劉放、中書侍郎刁幹、博士秦靜、趙怡、中候

    ある能吏の記録 - てぃーえすのメモ帳
    chincho
    chincho 2009/06/14
    兗州時代の故吏は知名度が低い人が多そう。万潜とか王必とか
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