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レファレンスに関するchindonのブックマーク (3)

  • (言説空間の)影を引く 索引としての ウィキペディア - 書物蔵

    ネットは独りよがりや妄想の渦である。ウィキペも同様である。まちがいだらけである。とゆーのは全面的に認めちゃう(・∀・) なれど… なれど、使わないテはない。といふか、もともとそんなもんなんだから、そのよーなものとして使うがよろし。 ウィキペのアホさかげんについて分かったうえで使うのがベストかと。 友人からこんななげきが。 日版ウィキペディアの「聖像破壊運動」を見ると,ビザンティン帝国でのイコノクラスムだけが記述されていて,宗教改革のときの聖像破壊については言及されていないのに,写真は英語版と同じくプロテスタントに襲撃されたオランダのユトレヒト(8世紀には存在しない…)にある教会の写真が使われています… この手の間違いばかりです。 それにこんなふーに答へた。 そうですね。 だからこそ、わたしは(日語版)ウィキペの長短について論じるべきだと思うのです。 逆に言えば、 ・和洋であれば和ものは

    (言説空間の)影を引く 索引としての ウィキペディア - 書物蔵
  • 日本レファレンス史のミッシングリンク(完結篇) - 書物蔵

    前回まで 日リファレンス小史 戦前,ほそぼそとレファレンス業務がはじまったが,その理論モデルはできなかったこと。それを戦後まもなく,神戸市立の志智が実践,理論ともに華々しく展開したこと。 日レファレンス史のミッシングリンク 志智がレファレンスを展開した当時の日図書館業界について 日レファレンス史のミッシングリンク(続) 志智のレファレンス実践の特徴 レファレンス運動の終焉 伊藤氏は言う… レファレンスの批判と衰退の原因について話したいと思います。 「批判」ってのはおいといて,衰退の原因について「私は次のように考えています」と原因を5つあげている。ここでは集約して3つにしちゃう。 志智が(停年)退職し,指導者がいなくなった。(1964(昭和39)年のこと) 参考事務分科会(1958(昭和33)年設置)の引継ぎ先に,力量がなかった。 「レファレンスを難しく考えすぎた」。クイック・レファ

    日本レファレンス史のミッシングリンク(完結篇) - 書物蔵
  • いつか敗北する日のために - The best is yet to be.

    図書館の主要な業務の一つに、レファレンスサービスというものがある。ものすごく簡単に言うと、ユーザーの疑問や質問に答えることだ。「○○について知りたい」「××について調べたい」というユーザーが来た時に、求めている情報や資料、あるいはその調べ方を提供する役割である。 ということを踏まえたうえで、以下に引用。 分からないものを検索する 技術力が全くない人間であっても、検索エンジンは、正しく問いさえすれば、あらゆる答えを教えてくれる。 問題になってくるのは「問いかた」で、自分が抱えている問題をどう言語化すればいいのか、 分からない人はたいていの場合これが分からないし、分からないものは、検索できない。 「問題」と「検索」との間に、誰か「人」に入ってもらうと、「何が問題なのか分からない」問題は、 しばしば検索可能な、解答可能な問題に置き換わる。 次世代の検索エンジンは、たぶん「ここではないどこか」みた

    いつか敗北する日のために - The best is yet to be.
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