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書物に関するchindonのブックマーク (2)

  • 国書の持つ歴史の厚みと「活字本」の歴史の薄っぺらさ/『国書総目録』

    「活字好き」なんて言葉があるが、昨今電子版組が増えて、ページをなでると文字ごとに膨らみがある「当の活字」は、実はほぼ絶滅の危機に瀕している。 「活字好き」と「好き」とは、そのうちイコールで結べなくなるにちがいない。 そもそもが、活字=というのは行き過ぎた話である。 『書物』という書物の中で、森銃三は、「活字ばかり読んでると、人間に深みがでない」という説を紹介している。今では「活字以外にがあるんですか?」と聞き返されそうな意見である。 日で活字印刷が普及するには、欧米に比べれば遥かに遅く、明治に入ってからである。活字印刷の技術を知らなかった訳ではないし、日人はを読まなかった訳ではない。それどころか驚くべき識字率と書籍販売量を誇っていたのである。 それが活字導入については逆に仇になった。江戸時代の出版の主流を占めたのは、いうまでもなく版(木版刷りの)である。一文字づつ活

    国書の持つ歴史の厚みと「活字本」の歴史の薄っぺらさ/『国書総目録』
  • 著作権と「作者」の起源(はじまり):ロジェ・シャルチエ『書物の秩序』

    「作者」は、今日では、名声を得るため、カネを得るため、自分の考えの影響を増すため、就職するため、敵対する考えの影響を減らすためなどの他に、さまざまな「読者の利害とは一致しない」理由から書物を著す。結局のところ、「作者」は作者自身のために執筆し出版するのであって、それは来的には読者のためではない。 当のところ、独創性のために「作者」が費やす苦労によって、どれほど読者が悩まされ、余計な時間を費やすはめになっているか。 とりわけ「作者」が伝えなければならない新情報や重要情報の欠如が、この「独創性への労苦」をかけあわせることによって、しばしば多大な損害を読者にもたらす。 ただ新奇にみせかけられた考えや表現を受け取るために費やされる時間を少しでも減らせるのであれば、人はその分を、たとえば自ら思考することにあてることができるばかりか、泳ぎにだって出掛けられるというのに、である。 (もちろん、同じよ

    著作権と「作者」の起源(はじまり):ロジェ・シャルチエ『書物の秩序』
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