世界中のファッション関係者が「キング・オブ・ストリート」と彼のことを呼ぶ。その彼とは、もちろん、藤原ヒロシのことだ。80年代初期、パンクファッションに身を包んだティーンエージャーであった藤原は単身ロンドンに渡り、当時のシーンの中心人物たちと交友を持つようになる。そのなかには、セックス・ピストルズのプロデューサーであり、ヴィヴィアン・ウエストウッド(VIVIENNE WESTWOOD)のパートナーであったマルコム・マクラーレンもいた。そのマルコムの勧めにより、当時、生まれたばかりのヒップホップを体験するべく、今度はNYに旅立つ。 若くしてインターナショナルな知識と感覚を身につけた彼は、黎明期の東京のクラブシーンで世界水準のセンスとスキルを持ったDJとして活躍を始める。90年代に入ると、彼の独自のスタイルーーパンク、ヒップホップ、スケートボードといったカルチャーのそれぞれのコンテクストを理解し