被害者が小山田を死んでも許さないというならまあわかるが、単なる野次馬の義憤みたいな何かは大概にしといたらどうなのかという素朴な感想がまずひとつ。 バカでも思いつく台詞だが、お前らも今いじめる側で楽しんでるじゃん。 そしていくら平身低頭しても許されないなら認めないし謝らないし隠し通す方向へのインセンティブにしかならないという現実的問題がひとつ。 もう一つの視点として、そもそも許すってなんだろうか。犯罪被害者や遺族は恨みという重荷から解放されたいので赦したいと思うのだ。だからってそれにつけ込む形で許されてしまう加害者はまるもうけである。 無心にギターをさわってると脳のネジが緩んでずっと昔の些細なイヤな記憶がポコっと浮かび上がってくることが、よくある。 昔バイト先で変なマウント取ろうとしてきたバカとか、謎にイキり散らしてきた職質警官の顔がふと浮かんでくる。 俺はそいつらのことを全く許してない。山
![小山田圭吾を許さない人たち](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b1638cdb5807a4788e4ba3c1109a984166e095fc/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2Fimages%2Fog-image-1500.gif)