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ブックマーク / ida-10.hatenablog.com (2)

  • 松山・三津浜の建築の織り成す風景 −石崎汽船ほか - mezzanine

    松山・三津浜をふらふら歩いた記録の続き。 松山の海の玄関口の一つ、三津浜(三津)には古い建物が比較的残っている。松山が空襲を受けた際、三津浜は戦災を受けなかったからだそうだ。前回触れた「三津駅」はそのような歴史を生き抜いてきた証人といえそうだが、今回は、そのほかの様々な建築に目を向けてみたい。 三津浜港のすぐそばに建つ、石崎汽船社。木子七郎(きご・しちろう)が設計し、1924年に建てられたRC造の建築である。 設計者の木子は、愛媛出身の新田長次郎の娘婿となったことから、松山の建築を手がけてきた。近代以降の愛媛の建築を牽引したトップバッターだといっていいだろう。代表作といえる萬翠荘(旧久松伯爵邸、1922年)と愛媛県庁舎(1929年)はともに松山城のふもとに建つ建築で、萬翠荘は「坂の上の雲ミュージアム(設計:安藤忠雄)」が建てられたことで、あらためて光が当てられるようになった。 さて、三

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    chintaro3 2008/09/08
  • 松山市 大街道商店街の空室状況 - mezzanine

    故郷の愛媛県・松山に少しだけ帰省した。 * 松山市の中心部、通称「街」に飲みに行くついでに、あらためてラフォーレ原宿・松山を拝む。この建物は今年1月に閉館した。今回訪れてみると、建物はまだ残っているが、もちろん中には入れない状況だった。 2008年8月のラフォーレ原宿・松山 2008年1月のラフォーレ原宿・松山 閉館と、閉館後の店舗の行方については以前書いた。 ラフォーレ原宿・松山の閉館とその後の行方について - 中二階からラフォーレ原宿・松山の閉館とその後の行方について 今回は、その店舗の行く先を見てみようと中心商店街「大街道」を少し歩いてみた。 この商店街は、いくつかある松山の顔の一つであることは確かで、お盆の最終日であるにもかかわらずいくらかの人手があった。しかし商店街の建物にいくつかの空室が見られたので、その様子を地図にプロットしてみることにした。そうしてあらためて見てみると、ある

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    chintaro3 2008/08/23
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