馬場靖雄 Sociological Observation and/or Observation of Sociology BABA, Yasuo 【注記】 *本稿は、1999年6月の関西社会学会ミニシンポジウム「ディシプリンとしての社会学」において、報告に対するコメントとして発表したものである。 報告者およびタイトルは以下のとおり。 「社会学と国民国家そしてグローバリゼーション」:油井清光(神戸大) 「ポストモダニティの社会学とシステム理論」:三上剛史(神戸大学) 「社会学における文化の位置」:荻野昌弘(関西学院大) 「社会学とリフレクシヴィティ」:宮本孝二(桃山学院大) コメント:厚東洋輔(大阪大) コメント:馬場靖雄(大東文化大) コーディネーター:大野道邦(奈良女子大) なお本稿は他の報告とともに、『ソシオロジ』45-2に掲載されている。 社会学者が自己の営みを反省的に捉え返し、「
「ポストモダン」という言葉は、思想家によってその意味が微妙に違ってくる言葉なのではないだろうか。それは現代の特徴を指していることは確かなのだが、あまりにも抽象的な表現なので、何を抽象しているのかが分からないと、現実のイメージに引きずられてしまって、自分にとってこれが現実だと思えるものが「ポストモダン」のイメージに重なって理解されると言うことになるのではないだろうか。 またこの言葉は専門用語として流通しているところもあるので、ある種の専門知識なしに理解することが難しくなっている。たとえば「ポスト・モダン、その簡単な定義と提言」によれば、次のように説明されている。 「モダンとは則ち、機械文明下の近代社会における人間性の解体(脱・中世)として出発した思想であり、機能主義的な単純要素によって構成されていたのに対し、ポスト・モダンとは、あらゆる諸要素を複雑に重ね合わせ、過去の諸思想及び、諸作品等から
年報 社会科学基礎論研究 第4号(2005) 特集:現代社会と〈宗教〉の鏡 008 孤独と近代──「収用」と自己という獄屋── 角田幹夫 022 宗教復興と文明論的分析 望月哲也 040 スピリチュアリティ研究の射程と応用可能性──生老病死におけるスピリチュアル体験に着目して── 伊藤雅之 057 「カルト」問題における調査研究の諸問題──フレーミングとナラティブをめぐって── 櫻井義秀 076 宗教社会学者は現代社会をどのように分析するのか?──社会学における宗教研究の歴史と現状── 大谷栄一 論文 096 マゾヒズムと超自我・序説──フロイト精神分析再読解の可能性── 竹中均 114 「男性問題」とは何か──フェミニズム以降の男性をめぐる言説── 田中俊之 132 出産の正常と異常をめぐるポリティックスと胎児の生命観 大出春江 150 シカゴ学派社会学と21 世紀という時代──セカンド
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