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2013年7月20日のブックマーク (2件)

  • 宮本茂に忘れられた僕等は今すぐ、宮本茂を忘れよう。「1997」のファイナルファンタジーと、ダブルミリオンの黒歴史。

    茂に忘れられた僕等は今すぐ、宮茂を忘れよう。「1997」のファイナルファンタジーと、ダブルミリオンの黒歴史。 宮茂の発言をまともに取り合う、という行為自体が間違いである。まともに取り合うべきではないし、そもそも読むべきではない。発言者としての宮茂は全く読むに値しない人物である。それを理由に宮茂を叩くというのも間違いだ。宮茂が読むに値しない発言を繰り返すのは、人の責任ではない。あれは立場上の不幸だ。 宮茂は不可侵の存在であり、アンタッチャブルな存在だ。何を言っても絶対に非難されない。もちろん、一部の好事家は真面目に揚げ足取りをするだろう。けれども宮が出てきた時点でメディアは菊タブーよろしくひれ伏すし、信者はそれを崇め奉る。 任天堂は宮茂の神性を宣伝広告に利用している。現代の任天堂がインターネットで行える最も効率的な宣伝こそが、宮の露出なのだ。故に、任天堂は新作のゲーム

    chuunenh
    chuunenh 2013/07/20
    オンラインゲームが登場した1997年、洋ゲーはディアブロやスタークラフトへ、和ゲーはポケモンと、真逆の方向に別れた。ポケモンこそ最も成功したネットワークゲームという視点は新鮮
  • 風呂ナシ生活のスゝメ

    風呂のない家に住んで半年が経つ。 今のところ、不自由はしていない。 最初に風呂なしの家に住もう、と思ったのは、家賃をおさえる意味ももちろんあったけれど、 単純に、銭湯通いをしたかったからだ。 生活の中に、自分だけのリズム、自分なりの、人生の起点を作りたかったからだ。 昨年の11月ごろの私は、いろいろなものや人に振り回されていて、ボロボロだった。 十二指腸潰瘍になって、仕事を辞めた当時の私は、あばらが浮くほどやせこけ、夜中に胃の痛みで飛び起きるせいで昼間はいつも朦朧としていた。 人生の中に、一日の中に、自分の基準がどこにもなかった。 仕事や人間関係で膿むのは、それ自体が問題なのではなくて、 自分を棹さす地点を、どこにも持っていないからだ、と思った。 昔、家をもたず、京都や東京をふらふらしていた時の経験で、銭湯のよさは感じていた。 どうせひまな人生だ。 銭湯に行く、その30分とか1時間の時間を

    風呂ナシ生活のスゝメ