様々な理由が考えられるだろうが、最初に思いつくのは、要となるローマ帝国が衰退するとともに、その先には海しかないユーラシアの半島のような狭い地域に、人種や言語の異なる多民族が東から順に押し込まれてしまったという結果である。 生産性の低い麦がもたらした紛争 意思疎通がうまくいかない雑居集団の相隣関係では、争いの種は尽きまい。その中でも、人間生活で最も切実な食物に問題が関われば、争奪戦も深刻なものになっただろう。 食えるか食えないかの問題(貧困の問題と置き換えてもよい)は、少なくとも1500~1600年代頃までは、生産性の低い作物と土地とに向かい合わねばならなかったヨーロッパの宿命だった。南欧を除けば、カロリー源のオリーブの恩恵にも与(あずか)れない。 温暖だった中世前期が終わると、地球規模の寒冷期が到来した。1300年代から1700年代にかけて、ヨーロッパでは、それでなくともアジアのコメに比べ