事例作成日 2015年12月17日 登録日時 2017/06/06 11:35 更新日時 2017/06/06 11:35 羽鳥千尋(1887-1912)は、滝川村大字板井(現玉村町)の出身で、高崎中学(現群馬県立高崎高校)を首席で卒業しました。 11歳の時に陸軍軍医の父が病死、親類の債務問題、自身の発病などの困難に見舞われながらも、独学で医師の道を目指し、難関の前期・後期学科試験にそれぞれ1回で合格しました。 しかし最後の実地試験は独学では難しく、21歳の時に、勉学のため書生として置いてほしいと鴎外に長文の手紙を送りました。鴎外はこれに応え、陸軍軍医学校の仕事を紹介し、羽鳥は実地試験の準備を進めましたが、最後の試験の直前に肺結核のため24歳で亡くなりました。 羽鳥が亡くなった一ヶ月後に、鴎外は「羽鳥千尋」という作品を「中央公論 大正元年8月号」で発表しました。羽鳥が鴎外にあてて書いた手紙
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