新幹線は山側にしか座らない。 とても混雑していて海側しか空いていないだとか、複数人で利用していて自分に選択権がないなど、そういった場合を除いて選べる状況であれば必ず山側に座るようにしている。 東海道・山陽新幹線は特徴的な新幹線路線だ。東京から新大阪を抜け博多まで到達するこの路線は、日本の主要都市をカバーする大動脈ともいえ、利用客も本数も多い。まさに日本を代表する路線だろう。 それとは別に、この路線にはもうひとつ大きな特徴がある。座るサイドによって見える景色が大きく異なるという点だ。 山側に座れば、静岡県に入ってしばらくすれば富士山が見えるようになる。 それ以外にも山々が見えるし、どこまで続いているのか分からないほどの平野の向こうにちょっとした街並みやイオンが見えたりする。なかなか牧歌的な風景が多い。 反面、海側に座れば延々と海の景色と、その海沿いに立ち並ぶ家々、海岸線に沿って真っすぐ伸びる
『はだしのゲン』で歌い語られるもののなかでも特に印象的なのが「壺坂霊験記」だ。ゲンが「ころは六月中のころ~~~夏とはいえど片いなか~~~」と唸る、あの曲である。 (『はだしのゲン 』 中沢啓治より) この「壺坂」は、ゲンと弟の進次の想い出の曲であり、『はだしのゲン』の物語の鍵となる曲でもあるのだが、マンガの中の「壺坂」を考える前に、「壺坂霊験記」をご存じない方のために少し解説を加えておこう。 浪曲「壺坂霊験記」は、盲目の沢市が、観音の霊力で開眼するという物語である。おおよそのあらすじはこうだ。沢市は、三つ違いの妻お里と暮らしている。お里は沢市の眼が見えるようにと、ひそかに壺坂山の観音さまに願をかけに通うようになる。最初は毎日どこに行くのか怪しみ責め立てた沢市だったが、お里の本心を知り感謝する。そしていよいよ満願の夜、お里は沢市と山に登る(ここで「妻は夫をいたわりつ、夫は妻を慕いつつ、頃は六
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