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AIRと考察に関するcloverleaf24のブックマーク (4)

  • 『Kanon』『Air』『CLANNAD』から、次の十年を展望してみよう - シロクマの屑籠

    ゼロ年代もあと少し。十年間の変化を振り返りたくなるとともに、次の十年がどうなっていくのかを考えたい時期でもあると思う。人間関係の世界でも、趣味の世界でも、実存の領域でも。 この記事では、ビジュアルノベルのなかでも人気があり、同一制作陣によってつくられた3つの作品(『Kanon』→『Air』→『Clannad』)を振り返りつつ、次の十年について展望してみたいと思う。 セカイ系としての『Kanon』 ゼロ年代、特にその前半のオタク界隈において無視できない作風としてセカイ系が挙げられるが、『Kanon』は、その代表的な作品のひとつと考えて差し支え無いだろう。『Kanon』が描き出しているのは、「個々のヒロインの命運の鍵を主人公が握っている世界の、きみとぼく」であり、逆に言えば「ぼくが手を差し伸べない限りはヒロインの命運は絶えてしまうという思いあがった心象風景」がまかり通る世界でもある。 『Kan

    『Kanon』『Air』『CLANNAD』から、次の十年を展望してみよう - シロクマの屑籠
  • Li_to_Mate 「飛べない翼に、意味はあるのでしょうか」に視る、意味が持つ柔軟性

    「飛べない翼に、意味はあるのでしょうか」AIR、遠野美凪の台詞。 この台詞には、『意味』というものが持つ柔軟性が含まれています。 「飛べない翼に、意味はあるのでしょうか」。この言葉を分解すると、『「飛べない翼の」「意味は疑問(無い)」』、ということになります。飛べなければ意味がないのではないか、という疑問。 これはつまり、有意とは来の使用方法・あるいは質に宿るものであって、そうではないものは「意味があるのかどうか」疑わしい状態にあるといえます。 例えば、データが壊れて読み取れないCDに意味はあるのでしょうか。水に濡れて読めないに意味はあるのでしょうか。 「有意性の根拠」がそこにあるのなら、その真逆は、必然的に、意味があるということになります。つまり、「飛べる翼に意味がある」ということになる。 ここには美凪の、『意味』というものの考え方が表れています。ここまでに書いてきたことを纏めると

  • loveless zero

    Research Research 私的AIR論 恋愛ゲームを遠く離れて 論は「far from」(seraphim's/「コミックマーケット59」にて頒布)に初出の原稿を恋愛ゲームZEROに掲載に当たり改訂されたものです。(2001/09/23,秋風)ページデザインのみ更新しました。(2003/05/10,秋風) then-d (初稿: 2000.12.30 改稿: 2001.9.22) 1.絶望と希望・意志と諦念の狭間で 「AIR」(※1)において最も特徴的な点で、最も目に付くのは、なんといっても観鈴のキャラクタとしての幼さに尽きるだろう。どう考えてもこれでは一般的な恋愛ゲームとして主人公との関係を構築できるようなものとは考えにくい。どうしてこのようなキャラクタをもって「AIR」のスタートが切られるのか、そこを論のとりかかりとして、物語のメインストリームである"DREAM"における

  • 信者でも思う、麻枝准の弱点 - rikio0505’s blog

    この前は「神」とか言っていたのに、手のひらを返します(汗)。まあ半分嘘ですが。 僕の中でも、あるいは他の信者たちの中でも、彼や彼の生み出すものは圧倒的で、かつ唯一無二のものであることは間違いないところです。が、様々なマイナス面や、妄信的な信者でもたぶん気付いていることを挙げていきたいと思います。 -家族、あるいはそれに準ずる存在が必ず出てくる リトバスでは、あえて「家族」を描かないことにする、と麻枝さんは宣言したようですが、実はしっかり「家族」は要素として出てきています。理樹の設定なんてそう。既に「家族がいない」っていう設定は、理樹が家族的な暖かさに飢えている、と言う設定とも取れるわけで。また、恭介と鈴の兄妹も、この2人の結びつきや、恭介から見た妹への愛情の深さと保護者としての思いがかなり出てきてしまっていますしね。全然「家族」と言うテーマから離れていっていない、と。 それに、結局は「家族

    信者でも思う、麻枝准の弱点 - rikio0505’s blog
    cloverleaf24
    cloverleaf24 2007/11/20
    確かに恋愛に関しては苦手だったような。
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