(CNN) 世界最高峰の自転車ロードレース「ツール・ド・フランス」の出場選手が20日までに、レース後の自身の脚を撮った画像をソーシャルメディアに投稿した。日に焼けた皮膚や一面に浮き上がった血管などが競技の過酷さを強く印象付けるとして大きな反響を呼んでいる。 画像を投稿したのはドイツのチーム、ボーラ・ハンスグローエに所属するポーランド人のパヴェル・ポリャンスキー選手。18日に行われたツールの第16ステージの後、自らの両脚を撮影し、インスタグラムに公開した。 太ももからくるぶしにかけて血管がくっきりと浮かび上がり、レース中強い日差しにさらされるひざの部分は茶色く焼けている。自転車界で最も栄誉あるレースに挑む上で、アスリートの肉体が日々どれほどの負担に耐えているかが一目でわかる画像だ。 27歳のポリャンスキー選手は画像に添えて、「16ステージを走り終え、自分の両脚は見たところ少し疲れ気味のようだ
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▼宇佐八幡神は新羅の神だった 八幡神は、いささか奇妙なところがあるが、間違いなく偉大な神である。「八幡大菩薩」と神仏習合名で呼ばれ、古代国家の大事にははるか九州宇佐の地から飛来した。朝廷からは伊勢神宮に次ぐ尊崇を受けた最高の国家鎮護神であり、その一方では武士政権の最大の守護軍神にもなっている。現在も、全国に約二万四千という日本第二の分社を数える人気神である(第一位は約三万五千の稲荷社)。 ところが、この八幡神はもとはれっきとした新羅からの外来神だったのである。別稿(日本人および日本の誕生)で述べたが、鎌倉源氏は自らを「新羅」の末裔と信じた節がある。ならば、守護神を八幡神とするのも至極当然である。源氏の「白旗」とは実は八幡の「素幡」(しろはた)だったということになる。そう言えば、「八幡」太郎義家と名乗った者もいる。また、明治維新の元勲・西郷隆盛が育った薩摩藩では、幼少からの藩士教育が盛んだっ
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