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思想と思考に関するcohalのブックマーク (5)

  • 最近はやりのニーチェかな - finalventの日記

    はてなブックマーク - 「なぜ人を殺してはいけないの?」に、ニーチェがマジレスしたら - 誰が得するんだよこの書評 率直に言うと、なんかとても変な感じがして、少し考え込んだ。 簡単に言うと、「なぜ人を殺してはいけないの?」とニーチェに問われたら、ニーチェはその問いが理解できないと思う。つまり、「人を殺してはいけない」という前提自体をニーチェは共有しないし、ニーチェと限らず19世紀の西洋人にとって意味をなしてないないはず。意味をなすとすれば、どのような人を殺してはいけないか、という、共同体倫理の文脈でしかない。 しいていえば、ニーチェにしてみると、ある部族なり民族がなぜ同一共同体内の人を殺してはいけないかという掟を持つのか、という、そういう限定された倫理の命題としてしか理解できないはず。 ほいで、そのように問いをフォーマライズすればおのずとニーチェの答えも出てきて、ようするに共同体倫理と自

    最近はやりのニーチェかな - finalventの日記
  • 刊行物 | University of Tokyo Center for Philosophy

    Marella Ada V. Mancenido-Bolaños, Cathlyne Joy P. Alvarez-Abarejo, Leander Penaso Marquez

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ハリイカの焼売と中華炒め ハリイカをよく、見かけるようになりましたよ。生け簀で、泳いでいたものを一杯購入しました 立派な大きな墨袋や肝は冷凍保存して 柔らかな身は季節のお豆、お野菜と合わせて中華の炒めものに。新鮮なにんにくの茎は刻み、香り高く欲そそられますね 下足はミンチにし…

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  • ジンケンの自明性には簡単に賛同しない - 地下生活者の手遊び

    「自明」にも「自然」にも賛同できにゃー。と当の当に大切なことには、理由があってはいけない - 過ぎ去ろうとしない過去のブクマコメに書きましたにゃ。その理由を考えていたのだけれど。 1)「自明」と「自然」の区別はけっこう厄介 ナチの優生学は一種の科学史上至上主義であり、「自然の鉄則」の自明性に依拠していたということは重要な論点だと考えますにゃ。 2)「ジンケンは自明」では生命至上主義(vitalism)に対抗できない 特に、脳死や中絶などの生命倫理にからむと、ジンケンは自明だ、ではいろいろと困ったことがでてきますにゃ。特に、宗教を背景にした狂信的生命至上主義者がジンケンの自明性をふりまわすという事態があるのだにゃ。掲示板での中絶論争で、僕は実際にこの手のお方をだいぶ相手にしていますにゃ。 3)「ジンケンは自明」では所有権至上主義に対抗できない 私有財産の不可侵というのはジンケン概念として

    ジンケンの自明性には簡単に賛同しない - 地下生活者の手遊び
  • 超左翼マガジン『ロスジェネ』が創刊されます

    超左翼マガジン『ロスジェネ』が創刊されます すでに、関係者のブログで書かれているのでご存知の方もいるかもしれませんが、掲題の雑誌がかもがわ出版より5月下旬に創刊されます。 編集長に浅尾大輔(作家・元労組専従)、編集委員に大澤信亮(評論家)、増山麗奈(画家)、そしてぼく=紙屋高雪という布陣です。創刊号の主な内容は以下のとおり。 特集=右と左は手を結べるか 討論=赤木智弘×浅尾大輔 「ぼくらの希望は『戦争』か、『連帯』か」 評論=杉田俊介「誰に赤木智弘氏をひっぱたけるか?」 手記=雨宮処凛「生きづらさが超えさせる『左右』の垣根」 論文=萱野稔人「なぜ私はサヨクなのか」 ルポ=紙屋高雪「あなたのとなりの『ウヨク』」 小説=大澤信亮「左翼のどこが間違っているのか?」 アクション=増山麗奈「戦争よりエロス——そして環境へ」 すでに内容についてはここにかかわった人たちがブログで書いていますので、URL

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