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2010年4月24日のブックマーク (3件)

  • サフランボルのドアをあけたよ(トルコ旅行記その3) - 紺色のひと

    この記事は「トルコで僕はなにを考えようとしていたか(トルコ旅行記その1) - 紺色のひと」 および 「カッパドキアの地と空と(トルコ旅行記その2) - 紺色のひと」の続編です。 トルコ旅行も中盤に差し掛かっている。カッパドキアを後にした僕たちが向かうのは、首都アンカラの北200kmに位置するサフランボル。サフランボルとはたくさんのサフラン、という意味だという。(サフランボル - Wikipedia) 僕は友人から聞いてこの町を知った。彼は僕の大学時代の友人で、一年間休学し、バックパッカーとしてシルクロードを西へ向かう旅をした。素晴らしい写真とたくさんの体験談、大きなアズキ色のストールを土産にくれた。写真の他に魚捕りという趣味が共通していた僕たちは、現地の漁師に投網の投げ方を教えてもらった、とか、ゆかいな話をたくさんした。今回のトルコ行きの計画立案時、彼に連絡を取った。「いわゆる観光地を周る

    サフランボルのドアをあけたよ(トルコ旅行記その3) - 紺色のひと
  • 非実在有害図書 - 内田樹の研究室

    東京都青少年健全育成条例について基礎ゼミの発表がある。 「表現に対する法的規制」というものについて私は原理的に反対である。 ふつうは「表現の自由」という大義名分が立てられるけれど、それ以前に、私はここで言われる「有害な表現」という概念そのものがうまく理解できないからである。 まず原理的なことを確認しておきたい。 それは表現そのものに「有害性」というものはないということである。 それ自体有害であるような表現というものはこの世に存在しない。 マリアナ海溝の奥底の岩や、ゴビ砂漠の砂丘に、あるいは何光年か地球から隔たった星の洞窟の壁にどのようなエロティックな図画が描かれていようと、どれほど残酷な描写が刻まれていようと、それはいかなる有害性も発揮することができない。 「有害」なのはモノではなく、「有害な行為」をなす人間だからである。 全米ライフル協会は「銃が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ」と主

  • ルノワールの描いた女の子の絵がかわいすぎてヤバイ 西洋絵画パネェ…

    1 : 便箋(大阪府):2010/04/22(木) 20:00:22.80 ID:h+kUQT+T ?PLT(12000) ポイント特典 ルノワールの‘可愛いイレーヌ’を追っかけて大阪へ! 国立国際美で4/17からはじまった‘ルノワール展’(6/27まで)に出品されている ‘可愛いイレーヌ’(チューリヒ、E.Gビューレー・コレクション)を追っかけて大阪へ行ってきた。 東京展(国立新美:1/5~4/5、拙ブログ2/21)をみたとき、‘可愛いイレーヌ’は大阪だけに やってくることを知り、即追っかけを決めたのだが、奈良博の‘大遣唐使展’ (4/3~6/30)との抱き合わせにするため日程を調整していた。 最初に行った奈良博で手に入れたチラシはぱっとみると、‘えっ、なにこのルノ。?’よくみると‘見ルノ、知ルノ、感じルノ。’ ルノワールの頭のルノで言葉遊びしているのである。‘努力したので賞’(古いフレ

    ルノワールの描いた女の子の絵がかわいすぎてヤバイ 西洋絵画パネェ…