Witnesses say that at one stage up to 2,000 people were involved in the overnight protests in Benghazi, which saw a march on government offices in the city. The protesters are said to have thrown stones and petrol bombs, and set vehicles alight. Witnesses said police used rubber bullets and water cannon to disperse them. The protests reportedly began after the arrest of Fathi Terbil, who represent
エジプト、進化した蜂起の形 2011年2月16日(水)20:30 (フィナンシャル・タイムズ 2011年2月13日初出 翻訳gooニュース) アンドリュー・イングランド、マイケル・ピール 1月25日火曜日の朝、カイロ在住の弁護士サメ・アルサイード(28)は携帯電話をもって近所のモスクへ向かい、祈り、国を挙げての「怒りの日」抗議を開く市民数千人に加わった。 アルサイード氏と仲間たちを待ち受けたのは、警棒をもった機動隊の列。催涙弾と放水車。治安警察は、過去の散発的な小規模デモによく効いた戦術を繰り出してきた。つまり、分割して支配し破壊せよ、だ。 しかし今回の群衆は、痛めつけられても動き続けた。動き続け、カイロ中心部の巨大なタハリール広場にすでに集まっていた数千人と合流した。 「僕たちはあの日、恐怖の壁を壊したんだ」とサイード氏は言う。 あの火曜日が、エジプトを塗り替えた18日間の始まりだった。
前の記事 世界の「未接触な人々」:画像ギャラリー 中国が開発する「クリーンな新型トリウム原発」とは 2011年2月16日 環境 コメント: トラックバック (0) フィード環境 Richard Martin 米国イリノイ州Byronにある原発。Photo;Doug Bowman/Flickr)/サイトトップの画像はWikimedia(チェコのDukovany原発) 中国はこのほど公式に、トリウムを燃料とする溶融塩原子炉(MSR)の開発計画に着手したことを発表した。これは、同国が主要なエネルギー源を原子力に移行するための重要なステップとなりえる動きだ。 このプロジェクトは、上海で1月下旬に開催された中国科学院[中国におけるハイテク総合研究と自然科学の最高研究機関であり、国務院の直属事業単位]の年次総会で発表されたもので、1月26日(現地時間)に中国の新聞『文汇报』の電子版が報じた。 現在では
WASHINGTON (Reuters) - CBS correspondent Lara Logan was beaten and sexually assaulted by a mob while covering the jubilation in Cairo’s Tahrir Square on the day Egyptian President Hosni Mubarak stepped down, the U.S. broadcasting network said Tuesday. CBS Correspondent Lara Logan in Cairo's Tahrir Square moments before she was assaulted, in an image courtesy of CBS News. REUTERS/CBS News/Handout L
イランでは、予告されていたとおり、#25Bahman(イランの暦の日付で2月14日のこと)に、人々が街に出た。名目は「チュニジアやエジプトの人々を応援する市民大行進」みたいな感じだったのだが、当局が「大行進」の許可を出さず、モグリで、いわばフラッシュモブ的な手法も取りつつ、実行された。行動はテヘランだけでなく多くの都市で(イスファハン、シラズ、ケルマンシャーなど。またマシャドのような宗教的な意味合いの強い都市でも)確認された。 一方イラン当局は、例によってバシジを出してきていて、平和的デモ隊が「催涙ガスでやられた」とか「棍棒で殴打された」とかいった話が多数、TweetDeckの画面を横切ってゆき、日没後は人々が占拠している広場の街灯の電源が切られ、暗がりの中でデモ隊に暴行を加えているといった情報が、昼間撮影されたビデオのURLなどと一緒に流れてきた。 今回は、米国のメディアによって「Twi
Some 200 people were killed in a "massacre" in south Sudan last week, officials say. Most of the dead were civilians, including children and others chased into a river by rebels, a minister said. Previous estimates said that about 100 people had died when fighters loyal to rebel leader George Athor attacked. The deaths come as the region prepares for independence from the north after last month's
From the rise of the Muslim Brotherhood to the Arab autocracy domino theory, five myths about Egypt's revolution. "Facebook Defeated Mubarak." No. There's a joke that has been making the rounds in Egypt in recent weeks, and it goes something like this: Hosni Mubarak meets Anwar Sadat and Gamal Abdel Nasser, two fellow Egyptian presidents, in the afterlife. Mubarak asks Nasser how he ended up there
エジプト革命:タハリール広場に日本で一番近い場所(#egyjp)で寝泊まりした日々を振り返って Posted on 2011年2月14日. Filed under: 未分類 | タグ: エジプト, エジプト革命, タハリール広場, tahrirsquare, Twitter | 2011年2月11日、エジプトで長年続いた独裁政権が倒れた。人びとの18日間の平和的で粘り強い行動が、中東一といわれる強大な軍隊と治安警察を背景とする大統領の我執を砕いたのだ。 この間、イルコモンズさんのブログにある「本日、革命につき、欠勤します」は、ぼく自身の台詞でもあった。 ムバラク政権が倒れたとき、ぼくは ぼくは革命成就の瞬間に立ち会えなかった。1時間ほど遅れた(笑)。 緊張のピークだった2月4日の「出発の金曜日」以降、短い睡眠を挟みつつひたすらウォッチを続けていた。が、その革命が成ったその日その時、ぼくは仮
Egypt's revolution is in danger of being hijacked by the army, key political activists have warned, as concrete details of the country's democratic transition period were revealed for the first time. Judge Tarek al-Beshry, a moderate Islamic thinker, announced that he had been selected by the military to head a constitutional reform panel. Its proposals will be put to a national referendum in two
(2011年2月15日付 英フィナンシャル・タイムズ紙) 我々英国人は運が良かったという発言をよく耳にする。確かに、経済情勢はもっと明るくてもいいはずだ。イングランド銀行のマーヴィン・キング総裁は先日、生活水準がこれほど長期間低下するのは大恐慌以来だとか言ったそうだが、まあ、気にする必要はない。 ユーロ導入論者のトニー・ブレア元首相が2000年にユーロと引き換えにポンドを手放していたら、事態はもっとひどくなっていただろう、というわけだ。 ユーロ不参加は賢明だった? こうした見方は、英国議会における伝統的な区別を超えて見受けられる。ゴードン・ブラウン前首相のアドバイザーを務め、現在は労働党の「影の財務相」であるエド・ボールズ氏は、ブレア氏を押しとどめた時に自分が果たした役割を誇りに思っている。 現在の本物の財務相であるジョージ・オズボーン氏も、保守党が単一通貨に反対し続けたことを同じくらい誇
本日も朝から京都地方裁判所に京都朝鮮学校いやがらせ事件民事裁判傍聴に行ってまいりました。昨日、雪が積もった京都は冷え込みはしていたが既に雪は跡方もなく消えていた。傍聴券抽選の前に辺りを見渡せば、在特会・主権の人らの知った顔はなくほとんどの傍聴券希望者は学校側支援者と思われる。その数約100名で抽選となり今度も当たりで大喜び。これで京都は全勝なのだが、これ、私は何かもっているのか?あれか、神は私にプログ書けと言うのか?いや神様、それなら財布にしまってあるこのロト6を当たるようにして下さいよ。それが当たるならもうね、仕事辞めて朝から晩まで裁判所に張り付いて毎日書くどころか、全裸で裁判所内をうろついてもいいから。駄目?等という不埒なつぶやきで裁判所に入場。よって、今回も今回も御所の焼き討ちと涙のラーメン紀行はなし。 では、裁判レポへ。 法廷内傍聴席から向かって左側に学校側弁護団12名が。100席
とうとうムバーラクが辞任した。 1月25日の大規模デモ以来、繰り返される民衆の抗議に押されながらも三週間弱、権力に固執し続けたが、くしくもイラン革命と同じ日、ムバーラク政権は民衆に倒される形となった。 暫定政権を担うのが軍であることには代わりがない。憲法や議会など、政治システムの変革がどう進められるかは、未知数だ。長い目で見たら何も変わらなかった、という結果にならない保証はない。 だが、今後どのような変化が訪れるにせよ、今回民衆運動の勝利が、決定的にエジプト社会の政治意識を変えたことは間違いない。 第一には、普通の人々が体制に挑戦することを恐れなくなったことだ。アラブの長期政権のほとんどが生き延びてきた理由は、現政権が倒れたときに訪れるであろう混乱と変動に、人々が恐怖を抱いたからである。慣れ親しんだコネ関係、暗黙のうちに了解される「超えてはいけない一線」――。長年のゲームルールがなくなった
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