もにゃ @Monyaizumi 競馬場の重賞レース直後の「あの風景」が印象的すぎて、ハズレ馬券をトランプにしてみた 床に広げるだけで一発で家が競馬場になります pic.twitter.com/tWnh5iy0V3
賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…
西野牧子裁判官は、実際の杉田被告の行為による書込み内容に比べるとやや滑稽な位に随分ヒステリックに断罪している。 西野牧子裁判官は「いたずらではすまされない卑劣な犯行。他人の痛みを想像しない無神経さは看過できない」として、懲役1年6月、保護観察付き執行猶予3年(求刑懲役1年6月)を言い渡した。(略)「『小女子』は魚だと不合理な弁解を繰り返し、反省がない」と厳しく非難した。 http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080929/trl0809291106001-n1.htm ネット上で、被告にお灸を据えろ!と言う人でも、どこか違和感を感じるのではないか。どうやら彼女は、弁護士の怠慢により、検察の印象操作そのまんまに、実態を理解しないまま判決を出してしまったようだ。しかし、問題は彼女だけではない。この判決、ないし、彼の逮捕・処罰について肯定する人達は、彼女の
みたび自由についてなる再反論をいただきましたにゃ。しかし、反論の呈をなしてにゃーのだが。 まず「意思*1の自由」についてにゃんが、脳内でどう考えようがそりゃ確かに自由ですね、という論点については前エントリ追記ですでに触れているんだけどにゃ。 脳内お花畑の自由はあるよにゃ。想像の中でなら快楽殺人も民族浄化もやり放題。 公務の執行を妨害する自由を語っていたエントリにつっこまれて、脳内お花畑の自由にまで後退せざるをえなかったのに、まだ誤読とかレイヤーが違うとか言えてしまう面の皮の厚さにまず乾杯。 さらに、脳内お花畑の自由をして、根源的な自由などという庇い方がなされる強靭な心臓にさらに乾杯。 他者の根源性 僕は最初からlever_buildingのいう自由には他者が不在であるといってきましたにゃ。強者の論理であるともいってきましたにゃ。何度でも確認する必要があるのだけれど、lever_buildi
風姿花伝の話は後回し。ごめんね>楽しみにしてくれていたヒト なぜ僕が公務の執行を妨害する自由は たいせつだよに我慢がならなかったかを考えてみると、そもそもあの論考で言及されていたのは僕の理解する意味合いにおける「自由」の概念とは何もかかわりのにゃー醜悪な奇形的まがいものをもって「自由」を論じているつもりになっているのを見たからでしょうにゃ。自由がdisられているので腹が立ったんだよにゃ。さらにいえば、lever_buildingのカス理屈は地位に由来する責任もdisっている、つまり自由主義を否定しているにゃ。許しがたい。 しかも、ブクマコメを見るに、lever_buildingのエントリが自由のある側面を論じたものであると考えているお歴々までいるではにゃーか(馬鹿には見えにゃーヒトも多いにゃー)。ちょいびっくりにゃんぜ。 例えばid:CrowClaw は 話のフレームがずれている気がする。
公務の執行を妨害する自由は たいせつだよが我慢ならにゃー。ブクマコメントもつけたけど、こちらでも書いておくにゃ。 他人が「めいわく」と感じようが 感じまいが、他人に危害をくわえることになろうが なるまいが、わたしの行動は、わたしにとって可能な範囲で、制約されることなく自由です。 然り、それはそうだろにゃ。現実にすべてのニンゲンを監視することなんざできにゃーのだから。 いっぽう、ほんとうに こわいのは、反対に「ひとをころす自由」を否認するような かんがえかたです。かれらは いうでしょう。「われわれは ひとをころす自由を みとめられていない」と。しかし、あなたの「ひとをころす自由」を みとめないのは、《だれ》(あるいは《なに》)ですか。「法律」でしょうか。それとも、「ケーサツ」でしょうか。 かりに、「ひとをころすのは、法律で ゆるされていないから、自由ではない」と かんがえる ひとが いたと
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