ふたつの天皇陵 「記紀」(古事記と日本書紀)によりますと、大和朝廷の実質的な創始者とされる第10代崇神天皇以下、最初の3代の天皇が、纏向周辺の三輪山山麓に宮を築いています。初期の大型前方後円墳もこの地域に集中しています。 纏向遺跡のすぐ近くで、大和政権は誕生しているという事実があるわけです。 『日本書紀』には、崇神天皇の墓は「山の辺の道の匂(まがり)の岡の上」にあると記されていますが、その正確な場所は明らかではありません。 今日、崇神天皇の墓とされているのは、箸墓から2キロほど離れた山裾にある行燈山古墳(あんどんやまこふん)です。初期の古墳が多く集まる柳本古墳群と呼ばれるところで、この行燈山古墳と、箸墓古墳のほぼ中間に、渋谷向山古墳(しぶたにむこうやまこふん)という大きな古墳があります。こちらは第12代景行天皇陵とされています。行燈山古墳と渋谷向山古墳のふたつの古墳は、前者が全長242m、