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Wikipediaと人物に関するcolcobirdのブックマーク (5)

  • イザベラ・バードの日朝中

    イザベラ・バード (Isabella L. Bird, aka Mrs. J. F. Bishop, 1831~1904) はイギリスの旅行家・探検家で、世界各地を旅して数多くの旅行記を残した。このうち日・朝鮮・中国旅行記は、平凡社の東洋文庫で読める。ここでは、これら三国の社会や国民に関する評価を抜き出してみた。 上陸して最初に私の受けた印象は、浮浪者がひとりもいないことであった。街頭には、小柄で、醜くしなびて、がにまたで、背で、胸は凹み、貧相だが優しそうな顔をした連中がいたが、いずれもみな自分の仕事をもっていた。(6-7頁) 日人は、西洋の服装をすると、とても小さく見える。どの服も合わない。日人のみじめな体格、凹んだ胸部、がにまた足という国民的欠陥をいっそうひどくさせるだけである。(14頁) 私はそれから奥地や北海道を一二〇〇マイルにわたって旅をしたが、まったく安全で、しかも心

  • イザベラ・バード - Wikipedia

    満州民族の衣装を着たバード イザベラ・ルーシー・バード(Isabella Lucy Bird, 1831年10月15日 - 1904年10月7日)は、19世紀の大英帝国の旅行家、探検家、紀行作家[2]、写真家[3]、ナチュラリスト[4]。 ファニー・ジェーン・バトラー(英語版)と共同で、インドのジャンムー・カシミール州シュリーナガルにジョン・ビショップ記念病院を設立した[5]。バードは女性として最初に英国地理学会特別会員に選出された[6]。 1881年(明治14年)に妹の侍医であったジョン・ビショップと結婚し、イザベラ・バード・ビショップ(Isabella Bird Bishop)、ビショップ夫人とも称された[7]。 略歴[編集] 生い立ち[編集] 1831年10月15日、イギリス・ヨークシャーで牧師の二人姉妹の長女として生まれる。妹の名はヘンリエッタ(ヘニー)。宗教色の強い中流家庭で育っ

    イザベラ・バード - Wikipedia
  • 安秉直 - Wikipedia

    1980年代前半まで、マルクス経済学者の朴玄埰の影響を受け[2]、植民地反封建社会論の立場から韓国経済を批判していた[1]。 1986年から1987年まで、東京大学経済学部客員教授 1987年、李大根と落星台経済研究所を創設[1]。 1990年代、ソウル大学民主化のための教授協議会の初代・第2代会長に就任[1]。 2002年、福井県立大学大学院特任教授 2006年、ニューライト財団を創立、初代理事長就任[1]。 2007年 - 2008年5月、ハンナラ党汝矣島研究所の理事長[1]。 李大根・李栄薫らと李氏朝鮮後期から現代にかけての韓国の経済史を研究している。特に日統治下の朝鮮経済の研究で知られる。 中村哲・堀和生ら日経済学者とともに「韓国の経済発展に関する歴史的研究」というプロジェクトで朝鮮経済史の共同研究を行い、その成果を発表している[3]。この研究の結果から、日統治下において、

  • 李栄薫 - Wikipedia

    李 栄薫(イ・ヨンフン、1951年9月10日 - )は、大韓民国の経済史学者。ソウル大学経済学名誉教授[1]・落星台経済研究所所長。経済史学会会長・韓国古文書学会会長も務めていた。元国務総理の金富謙は妹の夫[2]。 経歴[編集] 1970年: 慶北高等学校卒業[3] 1974年: ソウル大学校商科大学経済学科卒業[4] 1977年 - 1982年: 芝谷書堂漢学5年課程[4] 1985年: ソウル大学校商科大学大学院より博士号取得[4] 1985年 - 1989年: 韓神大学校経済学科教授[3] 1989年 - 2002年: 成均館大学校経済学部教授[3] 2008年12月 - 2009年2月: 九州大学韓国研究センター客員教授[5] 2002年 - 2017年2月: ソウル大学校社会科学大学経済学部教授(2017年2月28日定年退職[6]) 研究内容[編集] 安秉直・李大根らと李氏朝鮮時

    colcobird
    colcobird 2012/01/04
    朝鮮において数少ない正しい歴史認識をしようとする人物
  • ジェームズ・クック - Wikipedia

    ジェームズ・クック(James Cook、 1728年10月27日 - 1779年2月14日)は、グレートブリテン王国の海軍士官、海洋探検家、海図製作者。通称キャプテン・クック (Captain Cook)。 一介の水兵から、英国海軍の勅任艦長(英語版) (Post-captain) に昇りつめた[1]。 太平洋に3回の航海を行い、オーストラリア東海岸に到達、ハワイ諸島を発見し、自筆原稿による世界周航の航海日誌を残し(第2回航海)、ニューフンノ島とニュージーランドの海図を作製した。史上初めて壊血病による死者を出さずに世界周航を成し遂げた(第1回航海)。 10代を石炭運搬の商船船員として過ごした後、1755年に英国海軍に水兵として志願し、七年戦争に加わった。船員としての能力を認められたクックは1757年に士官待遇の航海長(英語版)に昇進し[2] 、英国軍艦Solebay号の航海長として、セン

    ジェームズ・クック - Wikipedia
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