初めの間は私は私の家の主人が狂人ではないのかとときどき思った。 横光利一 『機械』 冒頭にこんなことが書かれているが、どう考えても狂っているのは語り手の 《私》 のほうである。そう解釈するほうが辻褄があう。《私》 が住み込みで働くネームプレート工場の主人について、主人の妻から 「金銭を持つと殆ど必ず途中で落してしまう」 と聞かされるが、いくらなんでもそんな性癖は存在しない。《私》 は騙されているのである。ほかにも、工場の同僚二人とのやりとりは台詞を除くと、ほとんどが 《私》 の思いこみ、誤認、誤解、妄想のたぐいとしか思えないものばかりだ。(再読したら、台詞さえカギカッコで括られたものは一つもなかった。) 全く使い道のない人間というものは誰にも出来かねる箇所だけに不思議に使い道のあるもので、このネームプレート製造所でもいろいろな薬品を使用せねばならぬ仕事の中で私の仕事だけは特に劇薬ばかりで満