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ブックマーク / copc-loveone.blogspot.com (15)

  • bullet tour ; what I have found is fellowship, or tribe

    地域医療振興協会の海外視察研修で診療所委員会の仲間たちと一緒に英国と米国の家庭医療/一般医療の見学に行ってきました。1週間の弾丸旅行だけど。同じであることの確認、その違いの文脈依存性。そんなこと僕は知っていたはずなのに、あらためて現場で仲間たちとともに語り合っている。嗚呼、同じじゃないか。彼らの悩みもその喜びも僕らは知っていたのだし、そうそう、そうなんだよ、妙にはしゃいでいる自分がちょっといじらしい。帰国して、彼らの診療風景を想像する。その仕草や語り方が目の前に展開する。さらに一緒に旅行に行った仲間たちの診療を想像する。・・・当に見えるような気がする(アムロか!と、誰かに突っ込まれているような気もする)。彼らが僕を奮い立たせる。彼らに恥じないようなものになりたいと思う。OK、僕らは、このjazzyな環境でも、なんとかやっていけるだろう。

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    cometlog 2011/11/09
  • hello...it's a kind of wind twittering

    当に久しぶりだった。僕は自分が風なのかなと感じていた。うんと幼い頃の夕暮れ時に、体ごとオレンジ色に染まる故郷の岬で風の中、家族で過ごしたあの時以来のように思う。彼女は肝硬変で意識障害を起こすようになっていた。当に長く外来でお付き合いすることになった彼女の人生は過酷なものであった。肝臓を患うきっかけとなった病がもとで家族は大きくバランスを失った形でしか存続することができなくなっていたが、気っ風の良さが彼女とその周りの者たちに力を与えていた。 ある日、吐血で入院となった彼女は貧血のために蒼白であったが、かろうじて意識の低下はなく、口元にはかすかに笑みを浮かべていた。なにかが過ぎ去って行くような感覚、彼女の表情、仕草、その言葉と響き。ああ、風のようだ。そして同時に自分もまたそのようなものであると確信する。風が吹いている。いや僕らこそ風なのだと思う。

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    cometlog 2011/10/10
    おひさしぶりです
  • how to experience a new experience/back from England

    ついに英国に行って参りました。10日ほどの渡英で帰ってから1週間経ちますが、やっと体調が元のレベルに戻った感じです。短期間にいくつかの施設を巡り様々な人に会い、僕はなにを学んだのであったかと振り返る日々です。記憶を再生し、新たに構築して、その中から力のある物語を取り出したいと思っていますが、まだ少し時間がかかりそうです。 しかしながら、今回の経験の中でもっとも特筆するべきは、自分の経験の仕方の変化であったと思います。修学旅行のように静的にコンテンツをなぞるのではなくて、その場でコンテンツが立ち上がり動き出すような感覚を感じつつ、同時に俯瞰的な意識を保った見方。例えて言えば、ある程度熟練した外科医が、他の外科医のする手術をみるときの感覚に近いものの見方になっているようなのでした。しかも手術だけではなく、それをささえるスタッフの息づかいやチームワークまで同時に感じてしまうような。・・・どうも、

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    cometlog 2010/11/30
  • new curriculum−1

    医師会雑誌に生涯教育新カリキュラム〈2009〉が掲載されていた。医師会主導の総合医認定のためのカリキュラムで、福井次矢先生をはじめ医学界ではつとに有名なメンバーが数年をかけて制作したものだという。地域医療の崩壊への有力な解決策として出されたのが”総合医”であったはずのカリキュラムは、なんと実行される前に医師会の新人事とともにまるで骨抜きにされたのだった。生涯教育受講認定書が欲しい医師会所属の専門医の便を図ったのだそうだけれど、広い範囲の内容を取得することが前提のこの仕組みが、好きな科目を決められた時間受講するだけでよいという以前の形に戻ってしまっている。地域住民のための計画が、医師の便宜でご破算にされる。カリキュラム制作に尽力された方々の深いため息を思って、こちらも深いため息が出てしまう。professionalismが泣く。30年前も、20年前もすべて総合を目指した研修カリキュラムは医師

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    cometlog 2010/09/16
  • teaching medicine in the community

    英国の地域医療と医療教育を視察する下準備ために医学教育に関連した文献を読んでいます。あらためて日の新臨床研修制度の内容とそれを実行するために展開されている指導医講習会のことを考えながら、その理想と現実の間隙の深さに戸惑いを感じます。僕を含めた指導医講習会の受講者たちが、はたして現場でその教育理論を用いながら、現実的にその体現者たりえたかというと、実のところ厳しいです。各科には徒弟制度の影響がまだ色濃く残っている状況で、講習会でならった成人学習理論・学習者中心の教育を実行することの困難さは、議論するまでもなく分かってしまう。そもそも大学での教育でさえ全く学習者中心ではないのだから、当たり前と言えば当たり前のことなんだけど。 臨床研修制度の内容は決して悪くない。ただ、その大きな目標となっている医師としての人格の涵養や学習を自発的に続ける能力の獲得といったところになると、これは、忙しい各科の現

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    cometlog 2010/08/31
  • analysis of crying ; an introduction of phenomenology

    泣くということ。最近は確かに涙もろくなっていて、以前ではありえない状況で涙が出る或いは目頭が熱くなる。一般的に年齢によると思われているこの手の変化は、実は同じ表象をとらえるこちらの志向性が大きく変化したことによる感情反応の変化なのだと現象学的な知見は教えてくれる。はかなさの経験、或いは失うことのせつなさを獲得したことで、自分の中の認識は変わっているのだ。音や味や色彩の感じ方に個人差や経験が関係するように、僕の涙もろさにもそのような変遷があるのだろう。僕が生きてきた人生によってもたらされたものであるにしても、この涙もろさは僕に固有の物語では説明がつかない。一所懸命な人を見ると涙が出るということを、そのときにそういう人を見ていたという状況で説明することは難しい。涙もろさの発現には、はかなさ・失うことのせつなさの獲得という認知行動的な変化が必要だったのだ。たぶんDr.F(たびたび登場する僕の友人

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    cometlog 2010/07/20
  • generalist and its meaning

    (県人会MLの話題から:総合診療・generalについての私見(改)) 総合診療の意味を考える場合、言葉の問題もあって大抵混乱します。専門医が特定の臓器・病気の修復に強い興味を持つのに対して、generalist は不確定な症状や状況に対応する特性があります。専門医が時間軸のない科学を基盤にするのに対して、generalistは状況依存、時間依存の考え方をします。救急、地域医療に対してgeneralistに適性があるのはこの特性のためです。 なにをするかという枠組みでとらえるとgeneralistは何でも屋でしかありませんが、どう対応するのかという枠組みでとらえれば、各科の基技術はもちろん時間・人間関係等なんでも利用するというその優れた特性と専門性が理解されます。ただし、そのoutcomeと方法論をきちんと意識していないと医学の一分野としてはなりたたないとも思います。 救急、地域医療(プ

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    cometlog 2010/06/22
  • even in a dream

    いまも忘れられない光景がある。特別養護老人ホームでのこと。彼はもうすぐ90歳になる。多少の高血圧がある他は身体的な問題は見られなかった。施設の部屋は4人部屋であったが、十分なスペースがあり、古い診療所の病棟に比べれば断然住み心地は良い。外側に面して大きな窓があり、彼はよくその前に立っては一つの動作を繰り返していた。外に向かって何度も手招きしながら、”母さん、来ーい。母さん、来ーい。”と呼ぶのだった。窓の外、遠くに見えるの姿は、彼以外の誰にも見えない。朝も昼も、晴れていても、雪が降りしきる日も、夜の帳が降りようと、彼はいつも繰り返していた。 幻覚でも、夢でも、なんでも、に会えること。しかしながら、決して自分の傍らには来てくれないこと。達せられることのない望み。そのたびに全てを忘れてしまう彼は幸せだったのか。ただ悲しみが繰り返されるだけなのか。薬での対応を僕は口にしなかったし、介護して下さ

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    cometlog 2010/06/15
    遠くに見える妻の姿は、彼以外の誰にも見えない。 地域医療の方法
  • no kidding

    ふざけんな、という日語の勢いに自分でも驚いて、no kidding!でお茶を濁す。いろんな意味で情けない。その当の現場では、なにやらもやもやとしていて、その場で反論もできなかったのでしたが、家に帰る途中、そして帰ってから、そのもやもやの理由が分かって怒りの感情に置き換わっていました。 ちょっとパブリックな会議の内容なので、詳細を書くことはできないのですが、要するに、へき地医療は誰もやりたくないのだということが、言葉や方向を変えて確認されたのでした。へき地医療は誰もやりたくないのだから自治医大卒業生がそれをやるのは当然の義務である(うん、その通り)。自治医大生がそれを終生やる義務などないのだから早く専門を持ちなさい(現実的にはその通り)。確かに後輩たちの多くはこのようにして昔の僕らとは違う形のキャリアを持つことになるし、それはどうも避けられないことであると、最近は納得もしているのだけれど、

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    cometlog 2010/02/22
  • clinician×clinician

    日常診療の中に見え隠れする地域医療の形或いは文法をremark。 言葉が僕を去らないように、願わくばいつか誰かの夢に現れるように。 先日、H大学医学部4年生の学生さんに地域医療の経験からお話をさせてもらう機会をいただきました。春から初めて病棟実習が始まるこの時期に集中して行われるレクチャーシリーズの1つとして僕が行った講義のタイトルは”初めて医療者の一人として現場に出るキミへー地域医療からの提言ー”というものです。K教授から承ったこのタイトル。うーん、かっこいい。へき地での経験談をベースにして、それを方法として認識していった自分の歴史をお話しながら、最終的にPCM(patient centered method)に至ったというものです。病態生理の時間割の間のあるエアポケットのような授業だったと思います。学生さんご苦労様。しかし、自分を語るようなこの授業に恥ずかしさを感じてもいましたし、あら

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    cometlog 2010/01/31
  • articulation

    日常診療の中に見え隠れする地域医療の形或いは文法をremark。 言葉が僕を去らないように、願わくばいつか誰かの夢に現れるように。 分節すること、発音すること。ある事象をその背景からある言葉で取り出すことで、新しい事象として確定され、背景はそれと違うものと認識されるに至る。世界が生まれるということだ。光が闇との対として生まれるように。 昨日地域医療に関する会議の中でDr.Fが語ったことは、そのようなことであった。総合という言葉でidentifyする自分は、専門という世界から新たに分離されて輝くようになるのだけれど、これは僕らの望むとことであったのだけれど、そこには選別が生まれ、専門の世界の人はさらに総合の世界から離れてゆくのだという。総合の優れた医師は来どこでも必要とされていたものだから、それが認識されたとたんに、総合医への過重負担が発生してしまう。医師数の不足よりももっと問題なのは、

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    cometlog 2009/12/14
  • bitter pain, sweet pain

    手当という言葉。きっとそれは、実際に痛いところに手をあててさするような動作から来ているのだろうと思う。自分で痛めた場所を自分の手でさすっているのだし、その効果はgate theoryからも確かめられそうです。それにしても、子供にとって、母の手当に勝るものは(多分)ないし、僕ら大人にしてみても、優しい触り方と言葉がどれほどの救いをもたらすかは議論の余地がないほどのことでしょう。 実は研修医のMさんの仕草を見ていて、”手当”のことを思ったのでした。相手を気遣うものの言い方、やさしい仕草で、リウマチを煩うTさんの表情がみるみる和らいでいくのがわかりました。うーん、すごい。Tさんと18年も付き合いのある僕はまるで木偶の坊のように傍らにおり、”じゃ、また”などど言っている始末。同じ痛みが、同じ原因/同じ病態生理であったとしても、たった一人の暗い部屋で感じるそれは、きっと魂にもつきささっているし、それ

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    cometlog 2009/11/14
  • miracle apples

    日常診療の中に見え隠れする地域医療の形或いは文法をremark。 言葉が僕を去らないように、願わくばいつか誰かの夢に現れるように。 『奇跡のりんご』、読みました。無農薬りんごの誕生を夢見て、ついに現実のものとした津軽の男の話。ひたすらの、物狂いの、家族を巻き込んだ壮絶な半生から見えた世界は、虫と土と空と風が人とともにあり、リンゴとともにある、果てしないダイナミックな関係性の世界でした。存在は関係性の中にあり、境界はまぼろしのようだ。この人間の体自体が、外界と腸管の中で溶け合いながら連続してゆくことを思えば、なんとも不思議なこの命であることか。自己とはなにか。他とは誰のことか。まるで仏教の語りを聴いているような感触。 地域医療の中に、どうやら、同じようなものを感じている自分なのですが、こんな風に生きることは恐ろしい。せめて、自分の小ささや力のなさを素直に認めて歩いてゆこうと思う。関係性の風を

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    cometlog 2009/11/03
  • Dr.F, Dear Dr.F

    日常診療の中に見え隠れする地域医療の形或いは文法をremark。 言葉が僕を去らないように、願わくばいつか誰かの夢に現れるように。 どんなことがあってもその道を歩む人たちがいる。もちろん結局のところ、好きでやっているということになるのだけど、どうしてそこまでするのかと不思議な胸騒ぎがしてしまう。使命感、それは大きなの要因の1つだろうと思う。僕がやらなければならない。歯をいしばり、天を仰いでそうつぶやくシーンが目に浮かぶ。雨が降れば傘もささず、雪の中ではコートもなく。そりゃ、倒れるよ。だけれども、僕の知っているその人は、僕の敬愛する後輩なのだけれど、なんだか少し様子が違っている。信念が固いのは折り紙付きであるにしても、なんだか楽しげな雰囲気がただよっている。周りの人からのほほえみに感応するようにほほえんでいる。混乱の中にあって、新たな胎動に心を通わせている。うーん、すごい。 ところで、そん

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    cometlog 2009/07/06
  • 地域医療の方法

    日常診療の中に見え隠れする地域医療の形或いは文法をremark。 言葉が僕を去らないように、願わくばいつか誰かの夢に現れるように。 この秋に地域医療のテキストを出版することになりました。診療所の経験を方法論にまとめたもので、のタイトルは”地域医療の方法ーdiagnosis and solution in primary careー”にする予定。このブログで述べてきたことを基にして、実際の診療現場で具体的な例をどのように診断して、地域の中でどのように解決するかというです。かつてこのブログの中で臓器にこだわらない汎用性の高い方法論を紹介したことがあったのですが、それをさらに生活レベルに拡張しています。治療と言わずにsolutionとしたのは、拡張した診断はその解を生活レベルや地域レベルにまで拡張することを要求するからなのですが、多分、もし機会があったら実物を読んでいただいた方がわかりやす

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    cometlog 2008/03/20
    青森県の地域医療
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