今年の大学入試センター試験の「倫理」で「フッサールの思想の記述として最も適当なものを、次の1から4のうちから選べ」という問題が出た(こちらで見ることができる)。選択肢は以下の通り。 人間は自己の在り方を自由に選択するため、実存が本質に先立つ。 事物は知覚とは独立に存在せず、存在するとは知覚されることである。 言語の限界を超える語り得ぬものについては、沈黙せねばならない。 自然的態度を変更し、判断中止を行うことが必要である。 正解とされているのは4なのだけど、そこに書かれていることはフッサールの思想の記述としてはちょっと(あるいは、場合によってはかなり)まずいように思われる。というわけで、フッサール研究者の端くれとして、私がなぜこの問題に難があると思ったのかについて簡単に書いておく。 I. 「判断中止」という言葉について まず指摘しなければいけないのは、「判断中止」という言葉はフッサールの著
On passe maintenant à l’une des dernières mais non moins importantes partie du rapport de stage : la conclusion. Il est important de garder à l’esprit lorsqu’on la rédige que la conclusion sert à résumer les faits apportés dans le développement et d’y apporter un avis personnel tout en le défendant. Si vous avez besoin … Lire la suite
サルトルはあまりに有名であり、その名を知らない人を見つけるとしたら苦労することであろう。しかし『存在と無』が爆発的に売れたかつてのサルトルブームの時代においてすら、どれだけの人がその書を読破し、内容を理解したかとなると、まことに心許ない。書棚に「積ん読」で終わった人が大部分ではなかろうか。小編『実存主義とは何か』や読みやすい小説・戯曲、そして簡単な解説書の知識でサルトルを受け取って済ませていたのが実情であろう。 しかしサルトルは第一級の哲学者であり、流行現象としての「実存主義」で片付けるわけにはいかない。彼の思想を根本から理解するためには主著『存在と無』と格闘しなければならないのだ。そこでは哲学上のもろもろの難問や重要問題が独特の執拗かつ精緻な現象学的態度で分析されている。その分析を追っていくことはかなり辛い作業である。 私は学部・大学院を通じて、苦しみと楽しみが入り交じった奇妙な精神状態
まだ筑摩書房のページやamazonなどには載っていないようですが、『存在と無』がちくま学芸文庫から11月9日刊行されるという情報をゲットしました。 セブンアンドワイ - 本 - 存在と無 ? 現象学的存在論の試み 978-4-480-09106-2私は先ほどネット上で知りましたが、全然そんな話聞いていなかったのでびっくりしました。 何分冊になるのかわかりませんが、一冊1,874円ということなので、上下あわせると1万5千円ぐらいする人文書院版にくらべると大分リーズナブルになったのではないでしょうか。電車の中で読めるのもいいし。ただ、またも新訳ではないというところが残念といえば残念です。 ドゥルーズだの、デリダだの、フーコーだのの本が、サルトル・チルドレンのくせに先に続々と文庫化されるのはどういうことだ!と本気で思っていたので(笑)まあよかったのではないでしょうか。『存在と無』ぐらい、評価する
蒸した部室に、Aさんが帰ってきた。 帰省先でも町角のしなびた本屋で『SFマガジン』の最新号をせっせと買い込み、宇野常寛さんの連載「ゼロ年代の想像力」を読んでいたというのだから驚きだ。なんという宇野萌え。 S-Fマガジン 2007年 10月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2007/08/25メディア: 雑誌 クリック: 7回この商品を含むブログ (15件) を見る B「好きだねえ・・」 A「まあね」 B「で、どうよ、今回は」 A「うーん、『ワタクシは決断主義を徹底して前提化し、謙虚でエレガントな決断主義、つまり、思考停止と暴力とを肯定しない決断主義を、めざすのであります』っていう結論になっているんだけど、、」 B「ほほう」 A「なんだか、決断主義って言葉の意味がだんだん広がってきているような気がして、ちょっとねえ・・」 B「ちょっと?」 A「うーん、もっと明確に言葉を使っ
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