1885年(明治18年)11月8日、開業医である父・佐吉、母・由宇の次男として高知県香美郡暁霞村(現香美市)に生まれる。2歳の時、父親の故郷である長岡郡大杉村(現大豊町)に移る。兄・奉表は海軍の軍医となり最終階級は海軍軍医少将。弟・奉守、妹・照猪、妹・久寿猪の五人兄妹。 暁霞(あかつか)尋常小学校、韮生(にろう)高等小学校、海南中学校(同窓に沢田茂)卒。 広島陸軍地方幼年学校、陸軍中央幼年学校を経て陸軍士官学校(第18期、兵科・歩兵)卒業。見習士官を経て1906年(明治39年)6月26日に陸軍歩兵少尉に任官(広島・歩兵第11連隊附)。1916年(大正5年)11月25日には陸軍大学校(第28期)を卒業(席次は6位、御賜の軍刀を拝受[2])。 参謀本部部員、陸軍省軍務局課員を務めるとともに、スイス・ドイツ・オーストリアにも駐在。帰国後は歩兵第3連隊長、陸軍省軍事課長を歴任し、1934年(昭和9