三ヶ日みかんの果樹園 江戸時代中頃、紀伊国東牟婁郡那智地方から遠江国敷知郡平山村(現・静岡県浜松市浜名区三ヶ日町平山地区)の山田弥右衛門がキシュウミカンの苗木を持ち帰ったのが始まり。その後、天保年間(1830年~1843年)には平山村の加藤権兵衛が、実の大きいウンシュウミカンを三河国幡豆郡吉良地方から導入したことで、キシュウミカンに代わってウンシュウミカンが栽培されるようになった。 明治時代に入ると、ウンシュウミカンがみかん園としてまとめて植えられるようになった。1920年(大正9年)に専任技術員として中川宗太郎が赴任し、防風林としてイヌマキを利用することや、こも掛け、消毒、剪定などの技術を指導した[3]。こうして三ヶ日地域にみかん栽培が普及し、定着した。 第二次世界大戦後には国有地の払い下げを受けるなどし、第1次(1958年以降)と第2次(1963年以降)の2度の開発計画により、新しいみ