気仙町今泉地区には約500世帯が住んでいたが、東日本大震災の津波で3世帯を除く全ての住宅が流され、住民達は他の地域の仮設住宅に散り散りに住むことを余儀なくされた。この地を離れたくないと思った住民達もおり、寺の境内の山を切り崩し、何とか9世帯の仮設住宅を建設して、現在は12世帯が暮らしている。東日本大震災において仮設住宅を提案していた我々の活動を知った今泉地区の方から集会所の依頼を受け、住民ボランティアの方々と一緒に集会所の建設を行った。
建築模型とともに、岩手県陸前高田市の風景写真、被災した杉の丸太を展示した日本館の「ここに、建築は、可能か」=高野清見撮影 【ベネチア=高野清見】現代建築の国際展、第13回ベネチア・ビエンナーレ建築展が29日、イタリア北部のベネチアで開幕し、55か国による国別参加部門で、東日本大震災復興における建築の役割をテーマにした日本館の展示「ここに、建築は、可能か」が最高賞の金獅子賞を受賞した。 日本館は建築家・伊東豊雄さん(71)がコミッショナー(展示統括者)を務め、若手の乾久美子さん(43)、平田晃久さん(41)、藤本壮介さん(41)の3人と、写真家・畠山直哉さん(54)とともに、岩手県陸前高田市に復興支援の集会所を設計。その着工までの歩みを模型や写真で展示し、大災害で果たすべき建築の役割を世界に問いかけた。 伊東さんは授賞式直後、読売新聞の取材に応じ、「今回の私たちのテーマが(震災を受けて建
12月、三陸海岸へ。と、岩手県の沿岸南部は気仙地方といわれる地域ですが、南隣りの気仙沼市は、何故か宮城県に属してしまっているという、なんともややっこしい地域なのです。 で、江戸時代は共に仙台藩で、昔から交流が深く、今でも仲が良いことは言うまでもありません。‥ほんと県境の地というものは、分割されたり端っこが故に不遇にあったり、損をすることが多い地域なんですよね~。 その気仙地方の一つ、陸前高田市が発祥とされる気仙大工は、全国的にも名の知れた大工集団だったそうです。その大工さん達は、気仙地方(大船渡&陸前高田&住田)、気仙沼、その周辺地域で大変に活躍されたようで、この伝承館にある家屋と同じ造りの建物が、昔は多く見られました。 実際、今日この伝承館を拝見してみると、小さい頃の記憶に残る私の親戚の家にそっくりなのです。囲炉裏や炊事場、土間の構造などが同じで、涙が出るほど懐かしく思いましてね~。 そ
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