昔、まだ武装錬金が連載されていたころ、とあるファンサイトで「武装錬金は、否応なくひとりで生きることになった人々の物語ではないか」という指摘がありました。そこがどこだったかはチト思い出せませぬが、時はちょうど早坂編のころ。 武装錬金最終回とか見ているうちにそのことを思い出し、ネタにしてみることに。 思えば、武装錬金は「大人」のいない物語であります。もちろん年齢的大人は、蝶野製ホムンクルスや錬金戦団とかにもいっぱいいるわけですが、子供に対しての大人=肯定的家族像としての大人、がいない。その構造をしてエロゲ的という指摘もどっかにあったんじゃないかな。 ただ単に「欠けている」だけならそんなに取り立てることもないのでしょうが、一方で、「否定的家族像としての大人」が武装錬金には多いので、この構造が目立ちます。つまり、蝶野家のあの冷たい環境だったり、ディープに過ぎる早坂家だったり。 ライアーノートやなど