2月のエントリ「約束された救済――『魔法少女まどか☆マギカ』奪還論」は、本編があのような結末をむかえたこともあって、大きな反響を呼んだ。もちろん、あのエントリは予測でも願望でもなく、魔法少女の理念をただ著しただけにすぎない。しかし、内心の予想以上にあのエントリとぴったりくる結末だったのをみて、本人が一番驚いているとともに、ベンヤミンと『まどか☆マギカ』の相性はよいということを、ますます確信するに至った。 ところで、人気番組終了の常なのだが、最終回以後、様々な感想がネット上に飛び交っている。満足した者、満足してない者、それぞれいるだろう。あの結末は納得がいかない、という人がいるのはあたりまえのことである。ひとにはそれぞれ価値基準があるのだから。しかし、あのわかりやすい最終回を見て、なお見当違いな解釈をおこなっている人びとも多く見られる。それはたぶんにドグマ的であり、「誰かが幸福になるには誰か
最近考えていることや興味のあることを、取りとめもなく、だらだらと書いてみたい。 先日『コードギアス』についてちょっと書いたわけだが、なぜ再び『ギアス』に興味を持ち始めたかというと、最近またしても、人間と人間との関係性について考えているからである。 人間と人間との関係性についての興味は以前から持っていたが、これは、コミュニケーションに対する関心と言い換えてもいいだろう。こうしたレベルでの問題が『ギアス』にも見出されるように思うのである。 人間は、多かれ少なかれ、集団で生活しているわけだが、しかし、どのような資格において、どのような関係性の下で、集団を形成しているのかは、まったく自明ではない。僕は、人間が集まれば自然と集団が形成されるようになるとはまったく思えないというか、人間というものをそんなに単純に信じることができない。動物ならば、そこには本能というものが想定されるだろうから、動物の集団と
『コードギアス』には、現代の日本社会(あるいは日本人)に対するちょっとした批判のようなものが見出せる。それは、言うなれば、政治に対する無関心さへの批判のようなものである。ブリタニア帝国によって占領され、「エリア11」と呼ばれる日本の姿というものは、第二次大戦後にアメリカに占領された日本の姿のことを、さらには、現在においてもアメリカの軍事基地が存在し、アメリカの要請に従って自衛隊を海外に派遣しなければならないといった、日本の「対米従属」の姿を想起させる。 それでは、この作品は、イデオロギー的には、どのような立場に立とうとしているのか、というところを見極めるのはなかなか難しいところである。そもそも、帝国主義の植民地支配に対する民族独立というテーマはすぐれて20世紀的な問題設定だと言えるだろうし、そこに21世紀的な問題設定であるテロリズムが接合されているのには、若干の違和感を覚える。21世紀にお
禁煙中断日。1本しか吸いたくないのに1箱単位で売っているから始末に終えない。いっそ1本吸った後に捨ててしまうべきだろうか。1本20円のばら売り自販機とかあればステキなのだけど、まあ、現実的には無理だろう。あるいは、配給制で1日5本とか。そういう喫煙ライフにあこがれつつ、1箱の重さをずっしりと感じる。これだけ吸ったらまたニコ中に逆戻りじゃないか、と。なんとか数日に分けて吸おう。 伊藤計劃氏のエントリから触発されたネタなのだけど。 ジェイソン・ボーン・シリーズの概括を見ていて、なんだこれガンスリとたいして変わりないじゃん、とか思った俺ガイル。工作員を条件付けしてデュー・プロセスなしの自国内向け非合法特殊工作に放り込むというのは、ブラックブライアーと社会福祉公社にしかできない荒業といえよう。なにかの手違いで、フラテッロから離れ、記憶を喪失し、自らのアイデンティティを探すために戦う――そして「帰っ
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