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倫理とラノベに関するcrow_henmiのブックマーク (3)

  • 「現実は残酷である」という論理と喪の倫理 - さだまさとの日記

    id:hokushuさんの柴村仁、見下ろす、落語 - 過ぎ去ろうとしない過去というエントリに関連して。 hokushuさんのエントリを読みながら、秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』のことを思い出した。そしてまた、桜庭一樹の『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』も一緒に思い出したのだった。この二つの小説は、同じように残酷な現実を描いた小説だが、個人的な読後感は全く正反対のものだった。この二つの読後感の違いについて述べることによって、hokushuさんの柴村仁『我が家のお稲荷さま』批判を検討してみたいと思う。ただ、秋山瑞人の小説は手元にないため記憶を頼りに書くので、もし記憶違いがあれば平にご容赦願いたい。 語ることと語れぬこと 秋山瑞人は、『イリヤの空、UFOの夏』において残酷な現実とそれに押しつぶされる子供を描く。これは秋山の前作『の地球儀』から踏襲されている主題である。そしてこの両作品に共通す

    「現実は残酷である」という論理と喪の倫理 - さだまさとの日記
  • 『柴村仁、見下ろす、落語 - 過ぎ去ろうとしない過去』へのコメント

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    『柴村仁、見下ろす、落語 - 過ぎ去ろうとしない過去』へのコメント
    crow_henmi
    crow_henmi 2009/05/07
    id:flurry われわれのイノセンスが取り返し不可能な欠如と衝突した際に起こる去勢が、結果として諦めの正当化と、そのシニシズムに基づく優越感ゲームとしての「見下しの論理」を生み出すのだ、ということです。
  • 柴村仁、見下ろす、落語 - 過ぎ去ろうとしない過去

    柴村仁が嫌いである。 いやまあ、人は「会えばいい人」なのかもしれないが、彼女の書いたものはことごとく嫌いなものが多い。 ぼくが読んだ限りにおいて、彼女の小説のスタイルについては次のような印象を持っている。つまり誰かが死んだこと、または何かが失われたことがまず強烈なインパクトとして存在していて、その事実を中心に物語が回っていく*1。『プシュケの涙』がまさに典型的だが、『我が家のお稲荷様』もそうで、あの話の構造は要するに死んだ母親の縁で胡散臭い奴らがわらわらやってきて、死んだ母親の話をして帰っていくというものだろう。死んだ母親が物語の中心にあって、ことあるごとに母親が死んでいるということが思い出さされるのだ。 それで、なぜそういった喪失を中心とした物語(くーきょなちゅうしん、とか言いたければ言えばいい)が嫌いかというと、そうした物語はたいてい「見下ろす視線」というものを構造として保有している

    柴村仁、見下ろす、落語 - 過ぎ去ろうとしない過去
    crow_henmi
    crow_henmi 2009/05/07
    そういう残酷を受容し内面化することが「適応」や「去勢」であり、つまりは大人になる機序の基幹であるがゆえに、大人にとって普遍的な想像力といえる。その普遍的な残酷とどう向き合うべきか深く掘り下げてほしい。
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