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ブックマーク / www.hum.nagoya-cu.ac.jp/~bessho (2)

  • 「平和主義と正戦論」

    平和主義と正戦論 ―グローバル化と暴力の制御、あるいは「9・11」の衝撃― 別所良美 (名古屋市立大学 人文社会学部) はじめに 二〇〇一年九月一一日、乗っ取られた民間旅客機がニューヨークの世界貿易センタービルとワシントンDCのペンタゴンに激突するという悲惨な事件が起こった。巨大なツインタワーが倒壊し、何千人もの一般市民の犠牲者が出るというテロ事件は未曾有の出来事であった。その後、『九月一一日以降、世界は全く変わってしまった』とメディアは再三繰り返していた。しかし一体何が変わったのか。アメリカが定義する「正義」に従って、アフガニスタンへの軍事攻撃に始まる、「反テロ戦争」という名の軍事的暴力が世界に拡散することではないのか。 稿は「9・11テロ」[1]の衝撃がもたらした変化を「平和主義」の危機と「正戦論」の復活という観点から考えてみたい。 1)      暴力のグローバリゼーション 九十年

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    R.ヴァイツゼッカー 「荒れ野の四〇年」 1985年5月8日、ドイツ連邦議会演説 所収:R.ヴァイツゼッカー(1995)『ヴァイツゼッカー大統領演説集』(永井清彦編訳)岩波書店、pp.3-28 「一九八五年五月八日、国会で行われた、全世界であまりにも有名になった演説である。この年、敗戦から四〇年というので西ドイッでは第二次大戦とその結果をどうとらえるかで甲論乙駁の議論が進んでいた。ナチズムの過去をどう評価するのか、敗戦はナチズムの暴力支配からの解放とみなすべきか、などの問題をめぐる論議である。さまざまな意見がだされるなか、アメリカのレーガン大統領が訪れようとしていたドイツ兵の墓地にSS隊員の墓もあることが判明して世論はさらに沸騰した。大統領の演説はそうした背景をもつ。ヴァイッゼッカーは、この演説の「赦し」の概念については八九年にアメリカ・ユニオン神学校での講演で神学の視点から詳論しており、

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