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ブックマーク / font-da.hatenablog.jp (2)

  • 船には乗っていません、という話。 - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    ハーバード大学のサンデル教授の倫理学の授業を紹介する番組*1が評判になっている。番組では、「究極の選択」を学生につきつけ、そこから合理的判断を導くように議論させる方式の授業が放映されているようだ。私は、番組自体は実際に視聴していないが、こうしたワークショップ形式の授業を受けたことがある。 id:x0123456789さんが、こうした形式での倫理学を批判している。 「究極の選択は倫理的行為なのか」 http://d.hatena.ne.jp/x0123456789/20100425/1272180857 私もまた、こうした倫理学には批判的ではあるが、x0123456789さんと同じ考えではない。私は、極限状態における倫理を問うてきたし、これからも問うていくだろう。ただ、サンデル教授のような倫理学との違いは、繰り返し「私たちは、その現場にはいない」ということを強調することだ。 x0123456

    船には乗っていません、という話。 - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
  • 生死を考える際、個別/普遍の連関をどう思考するか - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    下の記事にid:mojimojiさんからお返事をいただいた。 mojimoji「個別的/具体的な思考が抽象的思考を支える」 以下の部分を取り上げる。 もう一つ言っておきますと、ここでの「抽象的な」あるいは「普遍的な」意味での「殺すな」は、どのようにして出てきたのか。個別的な状況に対して「殺すな」を言おうとする衝動に駆られるからこそ、それを可能にする普遍的な概念を探すわけで、そうして辿り着くのが「普遍的な「殺すな」」ということだと思います。ですから、僕にとっては、まず最初にあるのは、どうしたって個別的な状況の問題です。 実は、mojimojiさんとは、一年半くらい前から「承認」について議論をしている。*1いまだ決着はついてない*2のだが、面白いことにこの議論の私とmojimojiさんの立ち位置と、今回の議論の立ち位置が逆転している。「承認の議論」については、私は具体的な承認抜きには、抽象的な

    生死を考える際、個別/普遍の連関をどう思考するか - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
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