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Wikipediaによると正式な「ドラえもん」最終回には三つのバージョンがあり、一つを除いて単行本には収録されていなかったそうだ。私が小学4年のころリアルタイムで読んだのは、その未収録のうちの一つだった。 つい先日(2009年7月24日)の朝刊全面広告には、藤子・F・不二雄大全集の刊行が始まり、単行本未収録だった最終回が再録されるとあった。忘れられずにいた最終回の最後の1ページが、子どものころの記憶のまま、下の方に小さく載っていた。様々に思いがめぐる。この幻の回が復活する一方、二次創作であるがゆえに表舞台から葬り去られたもう一つの最終回のことを考えずにはいられない。以下の文章は、この「ドラえもん」二つの最終回について、mixi日記で範囲限定公開していた文章に手を加えてまとめ直したものです。 藤子不二雄を「F」とか「A」とかに分けて考えるのに慣れていない。 「オバケのQ太郎」「パーマン」「ウ
映画を見て、何とかそれを納得しようと自分の中で言葉を紡いで、それを外に出してみるのだけれど誰にも伝わらず、そしてネットを見回せば彼らは既にとっくに納得してそれを楽しんでいるようで、そういう感想を見て僕は吐きそうになったり泣きそうになったりして、それでも何とか日々の生活はやり過ごさなきゃならないからまるで抜け殻のように生きはするけど、その僕の中身は殆ど死んでいる状態で、今もなんとか記事をまとめようとするのだけれど、頭は回らず、ただ自分の身体から漏れ出るさび付いたオイルの様な言葉の粉塵をまき散らすことしかできない。そこにまとまりを作れない。 例えどんなに作画やCGが凄かろうと、どんなに見る人にとってストーリーが心地よかろうと、「映画」として素晴らしいものだったとしてもさ、「エヴァ」として、こんなんもん、絶対認めちゃ行けないだろうがよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!! なんなんだよみんな、
1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/07/03(金) 11:13:04.84 ID:tF1XlLTk0 わはー 95 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/07/03(金) 12:52:41.17 ID:uu0pnswLO 恋姫の鈴々で再生された 14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/07/03(金) 11:20:28.51 ID:Wt3Z45B2O バカボンのパパで再生した 56 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/07/03(金) 11:43:32.88 ID:s98ExFu5O なぁ…やっぱ萌え野田作って流行らす事がここで出来る最大の抵抗なんじゃねーかな… VIPの力が見たいぜ 44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/07/03(金) 1
これから書く記事は新ヱヴァの話はほとんど書きません、十数年前のエヴァンゲリオンの話になります。 多少内容がおっさんの感傷くさいですが、そんなもんだと思ってください。 十数年前の僕らは胸を痛めてEOEなんて観てた。 - bぉg@はてな 若干ネタバレあり。トラックバックいただいた記事がものすごい面白かった上に共感できたので紹介。 絶賛の声が多い新劇場版ヱヴァシリーズ。自分も多分に漏れず大喜びしているのですが、賛否の否の声がないわけもなく。どちらが正しいではなく、どう受け取ったかの問題なので、両方上がるのが正しい状態だろうなあとしみじみ思います。 実際、色々自分の中でも処理しきれない思いが山ほどあるわけですよ! それは、十数年前に若い頃の自分が「エヴァンゲリオン」の直撃を喰らい、半ばドラッグのようにそれを請い欲して心のスキマを埋めていたからです。 「いやあもう、大人になったよね。エヴァンゲリオン
続々とアップされる期待裏切られたけど楽しかったというタイプの絶賛エントリーなんなの?(以下微妙なネタばれを含むかも) 「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」を見てきたんだけども予想以上に「何だこりゃ」で終わってしまった。 前作テレビ版、前作劇場版、新劇場版:序、の3つを見ていなければ、少なくとも「序」を見ていなければ本気で楽しめない内容になんじゃこりゃぁ?と思った。最初に登場人物の説明も何もない。巨乳の新キャラが出てきたりアスカが毎晩パンチラしたりお尻の割れ目が見えるようなエロ衣装を着たりやっぱりレイはおっぱい要員だったり美少女が空から降ってきたり、一方で人物の内面描写が非常に少なくなった。描かれる主人公の葛藤も従来のロボットアニメの主人公と変わらない。内容としてもストーリーや設定なんかのこまごました部分は変わったんだろうけど全体的に前作にあった「主題」とか「アンチテーゼ」みたいな主張のようなも
些か応答が遅れて申し訳ありません。更新の時間が取れませんでした。 ⇒ロクでもないけどこれしかない - 地下生活者の手遊び ■ まず第一に、国がマンガの美術館を作るということは何ら不自然ではない。すでにある国立の美術館に並んでいる芸術作品と同じくらいの気合で、我々はマンガを描いている。国立のマンガ美術館、やれるものならやってください、でも無理でしょう? というのが僕の考えだ。 アート全体にも言えることだが、マンガの中には政府や政治家にとって都合の悪いもの、眉をひそめるようなものがたくさんある。そういうものがほとんどだ、と言ってもいいくらいだ。国や政府が保護したり育成したりバックアップできる代物ではない。 例えば非常にエロチックなもの、あるいはくだらないもの、「くだらない」とくくられるもの、そんなマンガがすべて、国の建設した建物の、劣化を防ぐために空調が完備された部屋の本棚にズラーッと並べられ
さっきまでかんでさん(id:kande-takuma)とスカイプで長話をしていたんですけれど、なかなか興味深い内容だったので、書きとめておきます。 何の話かというと、小説や漫画における女性人物の話。なぜそんな話になったのか憶えていませんが、とにかくもっと魅力的な女性人物を見たいよね、という話題で盛り上がったのでした。 ここでいう魅力的な女性人物とは、単に「可愛い」キャラクターを指すわけではありません。そういうキャラクターならもちろん、たくさんいる。 そうではなく、最も魅力的な男性人物に伍して対等に渡りあえるだけの魅力と、存在感と、「格」を備えた人物のことを指します。 もちろん、ぼくも「可愛い」女の子は好きだけれど、しかし、それほど強く惹かれるわけではない。いってしまえば、「可愛い」という時点でもうダメなんですね。なぜなら、「可愛い」という言葉を使う時、既に上から目線になっているから。 たと
欲望のコード―マンガにみるセクシュアリティの男女差 (ビジュアル文化シリーズ) 作者: 堀あきこ出版社/メーカー: 臨川書店発売日: 2009/06/01メディア: 単行本購入: 5人 クリック: 194回この商品を含むブログ (13件) を見る こちらのコメントの最後でもちょっと触れたが、レディコミ、TL(ティーンズ・ラブ)、ヤオイ(男性の同性愛恋愛を扱ったコミックの総称として、二次創作作品「やおい」と区別して表記)についての分析を通じて、女性のセクシュアリティ、性欲のあり方を論じている。つい最近出たばかりの本。先ほど読了。 以下、出版社のHPの紹介より。 日本において、女性のための性を描いた恋愛コミックは、一市場を築く商品ジャンルとして確立している。本稿はこれら〈性的表現を含む女性向けコミック〉の比較分析を通し、メディアの受け手である現代女性がどのような作品を望んでいるのか、また、どの
はてなブックマーク - だからずーーーーっと言ってたでしょ、俺は。 - NaokiTakahashiの日記 id:seijigakuto フェミニズム, 表現の自由 家父長制を推奨する表現物=差別問題として訴えるのは、電波すぎて真面目に相手する人は極少数に限られると思います / とはいえ、相手の攻撃対象を正確に把握する事は大事だと思います 2009/06/20 他にもこんな意見があるけれども。 id:orihime-akami 家父長制を叩くってのはさすがにやりすぎだなぁ。現代に流行る考え方ではないけど、十分多様性の範囲に入るでしょ。 2009/06/20 …… 家父長制批判こそフェミニズムの根本テーマじゃなかったっけ? いや、そりゃ最近はフェミニズムっていう思想も多様化しているけど、でもその根本には、「父親こそ一家の長であって、女性はそれに付き従うもの」という家父長制への批判がある。少な
うめぇヨーグルトソースでもいかがですか。個人差にもよりますが。もしよろしければ。 お久しぶりです。 最近うんめぇ〜と思ってるヨーグルトソースがあるので、書いていこうと思います。 ヨーグルトとハーブ類をもりもり使うので、そういうのが食べられない方にはうんめぇソースではないです。ごめんなさい…。もしよろしければお茶だけも…旦~ 【用意する…
二つほど。 問題は「性暴力を助長する」ではなく「性暴力そのもの」 問題は、性表現一般ではないし、性暴力一般でさえなく、とりあえずは、性暴力を肯定する表現です。性暴力とそうでないものの境界が曖昧だとしても、問題になっているのは曖昧な事例ではなく、規制派も反対派も「性暴力の肯定的表現」と認識しているものです。そのような表現を、性暴力被害者に対して今なおセカンドレイプ的言説が繰り返される社会において流通させることの問題です。 で、表現は、表現であると同時に、直接の脅迫でありえます。わからないようだからハッキリ言いますが、「性暴力を助長するかもしれない」じゃなくて、それ自体が性暴力なんですよ。レイプが、身体の自由に対する直接の侵害であることは説明の必要はありません。では、脅迫はどうか。脅迫は、身体の自由に対する侵害の予告であって、侵害自体ではありません。しかし、侵害の予告をもって実際の行動の自由を
ポルノ産業を本当に潰したければ http://d.hatena.ne.jp/axgx/ 子供を差別することには、誰も疑問を持っていないらしい。この問題の関係者にとっては、子供は人間ではないのだろう。 人はいま『18禁』とあまりにも軽く言うが、よく考えてみれば、それは18歳未満の人々をのけ者にする制度、すなわち、差別である。どうして誰も、この根本的な問題に目を向けないのか。 「青少年を保護するために~」「住み分けすることでしか守れない表現が~」という理由づけは、なるほど合理的ではある。南アフリカ共和国のアパルトヘイトも合理的だった。南アフリカ共和国の経済や治安は、アパルトヘイトの廃止によって大幅に後退し、人々は不幸になった。ではアパルトヘイトを続けるべきだっただろうか。 根本的な問題がお気に召さないという向きのために、別の方向からも『18禁』を攻撃しておこう。 「青少年を保護するために~」と
⇒言論・表現への法規制に抗するために - 地下生活者の手遊び 仰りたいことはわかりました。趣旨には同意です。「まとめ」の部分にはほぼ異論はありません。率直に言って、NaokiTakahashiさんのブログのコメント欄での応酬を拝見した限りは、もっと突っ込んだ議論を展開されるのかと思っていました。 「女を痴漢して強姦して孕ませて堕ろさせるゲーム」の表での流通が「人権侵害と認めるところからはじめ」るというのは、相当に強い議論です。DV等を見るまでもなく、児童虐待を見るまでもなく、そして人身売買を見るまでもなく、私的セクターにおいて、あるいは商行為の名のもとに、侵害されている人権の回復には強制力の執行を伴います。その強制力を市民は国家に付託しています。むろん数多の非営利団体が活動していますが、彼らは強制力もまた強制的な執行の権限も持ち合わせません。そうした社会を、私たちは選択しているし、私は「自
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id:integralさんの、セクシュアルマイノリティについて自分の考えを述べたエントリと、それに対するid:nodadaさんの意見、およびintegralさんとのコメント欄でのやりとりを、この数日見ていた。 integralさんーnodadaさんのやりとり 不真面目な元化学屋の戯言(現在法曹へ向けて学習中)ーセクシュアリティ 腐男子じゃないけど、ゲイじゃないーそれでもやっぱり寛容を求めたい 腐男子じゃないけど、ゲイじゃないーコメント欄 腐男子じゃないけど、ゲイじゃないー差別解除するのになんで二者択一? これに対するブロガーの反応 みやきち日記ーマジョリティが持つ「不快感」と「恐怖心」は、マイノリティの隔離・排除を正当化するか? みやきち日記ーそのエスノセントリズムを捨てれば、マイノリティとマジョリティは共存できるんじゃないの? uNDer thE mOonー理由(わけ) これは、すごく乱
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