x0000000000さんの貴戸理恵批判を読んでいて、考え込んでしまった。貴戸さんの『フリーターズフリー vol.1 (1)』pp.139-149所収の論文を引用しながら、x0000000000さんはこう批判する。 さらに、水商売をする貴戸に向けた院生の「私にはできない」、あるいは「フェミニズムをやってるならどうしてそんなことをするのか」といった言葉に対して、貴戸は次のように反論する。 そういう彼ら・彼女らは、塾講師だの家庭教師だののバイトをしていた。私は心の中でため息をついた。おやじに尻撫でられるのくらい何でもないんだよ。子どもの尻を叩いて受験勉強をさせるのなんかに比べれば。私は馬鹿にされている方がマシだ。(p.145) どうしてこんなにニヒリスティックになるのだろう。確かに「フーコーとか読んだ後に教師のバイトをやること」は、必ずしも整合的であるとは言えないだろう。しかし、言い方や問い方