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ブックマーク / gordias.hatenadiary.org (13)

  • 愛させる技術 - G★RDIAS

    kanjinaiさんが紹介しているように、17歳の女の子の水着DVDが児童ポルノとして摘発された。 http://d.hatena.ne.jp/gordias/20071022/1192991596 私自身、今年の春頃から機を見ては、この問題を友人と議論してきた。しかし、この問題は表現の自由、性の商品化、性の自己決定、売春婦差別、子どものセックスなど、気をつけなければならない点が多く、これという結論は出せずにいた。女の子たちとセックスを結びつけようとする、過度の扇動を批判することは必要だろう。しかし、どの角度から、どのように規制するのか、という点には慎重にならなければならない。左翼にしろ、フェミニストにしろ、反性暴力運動にしろ、動きは鈍い。 一方で、kanjinaiさんが引用している、web上のニュースにもあるように、批判は女の子たちの母親に向けられる。かわいい娘を金儲けの手段にするのか、

    愛させる技術 - G★RDIAS
    crowserpent
    crowserpent 2007/10/25
    女児が承認欲求を満たしうる手段が性的魅力以外に著しく少ない、という問題について。
  • 河野哲也「善悪は実在するか」 - G★RDIAS

    先日、友人結婚式に出席してきた。新婦から、両親への挨拶で、彼女は泣きながら「私は父に叱られてばかりでした。そんな父をうとましく思ったこともありました。でも、今は、あれが当の優しさだったと思います。お父さんありがとう。」と述べていた。高校時代に、彼女の父親との葛藤の相談を受けていた、私たち友人一同は、ハンカチを握って感動で涙をこぼした。 一方で、成人してから、父親が自分に行ったしつけが虐待だったと気づくこともある。あのときは、父は自分のために叱ってくれていると思っていたが、実はそのことにより、自分の中に別の問題が生じていることに、後から気づくのである。 両者は、当時に話を聞けば、「父親に叱られて、辛い。父親が怖い」と述べるだろう。しかし、数年後、両者はまったく別の過去の振り返り方をしている。前者ならば、父親の行ったことは、子どもに利益になっただろうし、後者ならば不利益になっただろう。また

    河野哲也「善悪は実在するか」 - G★RDIAS
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    crowserpent 2007/10/25
    「立脚点に主観がある限り、『<主観>の呪縛から倫理を解き放つ!』ことはできない。」
  • 愛と暴力の間 - G★RDIAS

    杉田俊介が、弱者暴力についての批判を書いている。暴力の加害者は、ときに、別の暴力の被害者でありうる。そのとき、加害者は、過去の被害体験を持ち出して、自己のふるった暴力を正当化することがある。そのことについて、杉田さんは、簡潔に述べている。 この数年、私自身のだめさをふくめて、自分の足元を鶴嘴で掘り進めたあげく、行き当たった岩盤(足場)のありかを今、一つだけ再確認するなら、それは「かつて悲惨な被害にあった当事者が、それを理由に、別の人間に何をしてもいい、傷ついた人間が直接間接に他人を傷つけて構わない、とは言えない」、という単純な事実であるらしい。 杉田俊介「弱者暴力との抗争――内藤朝雄氏のよわよわしさについて(後半)」『いきすべき批評』(http://www.allneetnippon.jp/2007/08/4_10.html) 読んでいて、私もこの数年の自分のだめさが頭を駆け巡った。 これ

    愛と暴力の間 - G★RDIAS
  • 妥協するということ - G★RDIAS

    x0000000000さんの貴戸理恵批判を読んでいて、考え込んでしまった。貴戸さんの『フリーターズフリー vol.1 (1)』pp.139-149所収の論文を引用しながら、x0000000000さんはこう批判する。 さらに、水商売をする貴戸に向けた院生の「私にはできない」、あるいは「フェミニズムをやってるならどうしてそんなことをするのか」といった言葉に対して、貴戸は次のように反論する。 そういう彼ら・彼女らは、塾講師だの家庭教師だののバイトをしていた。私は心の中でため息をついた。おやじに尻撫でられるのくらい何でもないんだよ。子どもの尻を叩いて受験勉強をさせるのなんかに比べれば。私は馬鹿にされている方がマシだ。(p.145) どうしてこんなにニヒリスティックになるのだろう。確かに「フーコーとか読んだ後に教師のバイトをやること」は、必ずしも整合的であるとは言えないだろう。しかし、言い方や問い方

    妥協するということ - G★RDIAS
  • 自然科学とリベラルアーツの統合:このままでは無理 - G★RDIAS

    「"自然科学"と"リベラル・アーツ"を 統合する会」というものが、多田富雄先生によって設立されたというのを新聞で読んで、そのサイトを訪れてみた。 http://www.insla.jp/ 多田先生はかつてNHKで対談させてもらったこともあるし、共著もあるしで、たいへんお世話になっている偉い先生である。この会の賛同人・実行委員会のメンバーも、多田先生の豊富な人脈のおかげで壮絶なメンバーが集まっている。このプロジェクトはいわゆる理系と文系の統合・融合を目指すものだ。その討論などの活動はすべてネットで行なうとされている。 はっきり言わせてください。無理です。まず賛同人・実行委員会の偉い先生方はネット時代以前の方々で、ウェブのことをたぶん肌で分かってない。その証拠に、上記のオフィシャルサイト、ありえんぐらいダサい。レイアウトもむちゃくちゃだし、PDFが散らばっているし、インタラクティブになってない

    自然科学とリベラルアーツの統合:このままでは無理 - G★RDIAS
    crowserpent
    crowserpent 2007/06/18
    ↓sivad氏に同意。包括的にやりたいなら「なぜ、どのような場合に統合が必要なのか」が問われねばならない。学問の細分化は何の理由もなく起こったわけじゃない。
  • 堀江有里『「レズビアン」という生き方』 - G★RDIAS

    「レズビアン」という生き方―キリスト教の異性愛主義を問う 作者: 堀江有里出版社/メーカー: 新教出版社発売日: 2006/10メディア: 単行購入: 3人 クリック: 54回この商品を含むブログ (16件) を見る 今年の秋から、来年の春にかけて、同級生が3人結婚する。そのうちの一人の結婚準備期間の幸せっぷりにあてられ、思わず「結婚してもいいかもねー」と恋人に漏らしたところだった。その折りにこのを開くと、頭から冷水を浴びせられた気分になった。 堀江さんは、レズビアン牧師である。堀江さんは、職業牧師の生業である、結婚式をとりおこなう仕事について、こう書く。 多少挑発的に例を挙げると、わたしにはこんな「素朴な疑問」がある。たとえば、「生活のため」という理由づけ――もしくは言い訳――であれ、ホテルなどでの結婚式の司会を行うこと。たとえば、あえて法律婚をしていること、異性愛者の中でも(いや、

    堀江有里『「レズビアン」という生き方』 - G★RDIAS
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    crowserpent 2007/06/12
    「しかし、まだ、『わからない』という言葉は聞こえている。それは、細い細い、私(異性愛者)と堀江さん(非異性愛者)をつなぐ一本の糸なのだ。」
  • 他者を歓待するブログについて - G★RDIAS

    以下の投稿はid:mojimojiさんによるゲスト投稿です。 ===== 私が、様々な媒体の中でも特にブログという媒体に愛着を持っているのは、そこが他者に出会ってしまいやすい媒体である、という思いがある。その意味で、kanjinai氏の書かれた「ネットに「他者」は現れるか」にはとても興味を引かれた。その中での「「他者」は実は現われていない」という記述について、これは当然、僕の考えるところと違う。しかし、それ以外の多くの部分に首肯するところもたくさんある。どこで異なってしまっているのか。このところ、この問題がずっと頭に引っかかっていて、考え続けていた。──そんなときに、GORDIASにゲスト記事を書かないか、という打診があり、いろいろ考えた末に*1、書かせていただくことにした。 述べたいことは大きく二つ。一つは「ネットに「他者」は現れる」ということ。いま一つは「閉じることを正当化しない」とい

    他者を歓待するブログについて - G★RDIAS
    crowserpent
    crowserpent 2007/06/02
    mojimoji氏の丁寧な整理。コメント欄含めて
  • ウェブに現われる「他者」の具体的検討 - G★RDIAS

    私のエントリー「ウェブに「他者」は現われるのか?」で、私はウェブのとくに掲示板には他者の他者性を消去していくシステムが備わっているという主張をした。それに対して、id:mojimojiさんが、ゲスト投稿「他者を歓待するブログについて」で、ウェブには他者は現われるし、むしろ他者とよく出会う空間であるという趣旨の主張をされた。やりとりは、それぞれのエントリーのコメント欄でさらに検討されている。私はmojimojiさんの主張に賛同する点が多い。 そのうえで、実際に、たとえば、G★RDIASで、私のエントリーはどのくらいの他者に出会っているのかを軽く検証してみることにした。 まずは、コメント欄で反響の大きかった「モテ」関連を見てみたい。 「モテとはひとりの女を大切にすることである」http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070414/1176477766 コメント欄 aji

    ウェブに現われる「他者」の具体的検討 - G★RDIAS
    crowserpent
    crowserpent 2007/06/02
    何を以て「他者でない」などと言い得るのか? 「自分の不都合な部分に食い込んでくる迫力のある存在」のみを恣意的に他者と認定しているようにしか見えないが…
  • 男をバカにした『モテる技術』 - G★RDIAS

    モテについては、近々新しいエントリーを書くが、その前に、私のテーゼ「モテる男とは一人の女性を大切にできる男である」を全否定するモテがある。それが、ここに紹介する『モテる技術』である。 モテる技術 (SHO‐PRO BOOKS) 作者: デイビッドコープランド,ロンルイス,David Copeland,Ron Louis,大沢章子出版社/メーカー: 小学館プロダクション発売日: 2002/04/01メディア: 単行購入: 6人 クリック: 126回この商品を含むブログ (32件) を見る こので言う「モテる」とは、いろんな女と、とっかえひっかえセックスを堪能するという「豊かなセックスライフ」を送ることであり、これが「モテる」ことだとされている(私の言うモテ1)。著者たちは米国人だが、このを実際に読んでみると、まことに男をバカにしたであることが分かる。以下、同書から引用してみたい。

    男をバカにした『モテる技術』 - G★RDIAS
  • クジラ肉は余っています - G★RDIAS

    星川淳さんの新刊、『日はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』を読んだ。 日はなぜ世界で一番クジラを殺すのか (幻冬舎新書) 作者: 星川淳出版社/メーカー: 幻冬舎発売日: 2007/03メディア: 新書購入: 3人 クリック: 74回この商品を含むブログ (23件) を見る 星川さんはグリーンピースジャパン事務局長だから、その立場から書いているわけだが、にもかかわらず書はたいへんおもしろい。捕鯨問題となると、左翼でもいきなり右翼になったりするので、このこともおもしろいが、事実が一般に知られていないというのもまた面白い。次の事実も、たいへん興味深い。 2006年、捕鯨問題としてはちょっと毛色の変わったニュースが話題になった。"調査捕鯨"で捕ったクジラの肉がだぶつき気味だというのだ。噂のレベルではない。大の情報は農林水産省の統計データで、水産庁捕鯨班もその事実を認めている。(152頁)

    クジラ肉は余っています - G★RDIAS
    crowserpent
    crowserpent 2007/05/17
    クジラ肉の取引に市場システムがうまく働いていないのでは?/関連:http://d.hatena.ne.jp/kanjinai/20070530
  • 女性が哲学に惹かれない(らしい)のはなぜ? - G★RDIAS

    これは古典的な問いである。大学進学率が男女半々くらいになってきて、文系諸学科では女性の比率がむしろ高くなってきているが、心理学、社会福祉学、言語学などに比べて、哲学は女性から人気がない。その理由としては、以下が考えられる。 (1)概して女性は哲学的思考というものに興味がない。 (2)現存の「哲学」は伝統的に現実の女性を蔑視し、排除しながら構築されてきた。「女性は抽象的思考が苦手であたまが悪い」など。そういう学問に女性が興味をもたないのは当然。(また、女性蔑視してる哲学教師も多いから学生はそれを内面化する) (3)現存の「哲学」は、学問内容として、「女性の経験」を取り込んでこなかった。女性は哲学に、みずからの経験に響く要素を感じず、興味を持てない。裏返して言えば、現存の「哲学」は過度に男性ジェンダー化されている。 ほかにもあるかもしれない。私は個人的には(1)は無意味、(2)と(3)が大きい

    女性が哲学に惹かれない(らしい)のはなぜ? - G★RDIAS
  • 錯綜する「女らしさ」 - G★RDIAS

    先日、友人が家に遊びに来た。彼女は大変カワイイ女子(ヘテロ)である。性格や仕草もカワイイが、それ以上に顔がカワイイ。しかも美容関係の仕事に就いているので、カワイサを際だたせる術も持っている。もちろん、私の友人の中でも1,2を争うモテ女子である。*1男がとぎれない。いいな、と思った相手を好きになる前に、告白されるという。常に、愛され側。すごいなあーと思っていたが、彼女は真剣に悩んでいた。 「もっと地味でいたい・・・カワイイ女を求められる。」 彼女は、そんなつもりはないのに、男に媚びる甘え上手、と周囲から言われてしまうことに傷つき、人間不信にさえなったという。彼女の中には、幼い頃からずっと抱えてきた、ジェンダー違和や、女としての身体へのコンプレックスもある。「女らしい」から愛されながら、「女らしさ」への苦痛も持っている。*2 そうこう考えていたら、おもしろい記事があがっていた。 「女らしくした

    錯綜する「女らしさ」 - G★RDIAS
    crowserpent
    crowserpent 2007/05/09
    感覚的には凄く分かるのだけど、nogaminさんの危惧への答えとしてはやや甘い気も。/森岡先生、なんでそこで「モテ」に行くかなぁ…orz
  • 「モテる男」について再度考えてみた - G★RDIAS

    4月14日に「モテとはひとりの女を大切にすることである」というエントリーを書いた。みなさんからいろんな反響があったので、その続きを書く。 それに関連して、sugitashunsukeさんのところで、非モテ1.0 2.0 3.0という議論があった。 http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20070427 これを参照しながら考えていきたい。 まず「モテる」とはいったいどういうことか、について、いくつかのとらえ方が現存する。私はそれをだいたい3つにわけて考えてみてはどうかと思うのである(上記エントリーもその考え方に立っているようだ)。 まずは、もっとも一般的な「モテ」の概念がある。これは、とにかく女に好かれまくって、つねにいろんな女と恋愛状態になれる・恋愛状態であるということを意味する。 モテ・1 モテる男とは、つねにいろんな女と恋愛・性愛状態である、あるいは

    「モテる男」について再度考えてみた - G★RDIAS
    crowserpent
    crowserpent 2007/05/02
    言及しました。
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