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Web論と4に関するcrowserpentのブックマーク (2)

  • 続「アキバ解放デモ」一周年 ネットとの付き合い方に関してなど | 筆不精者の雑彙

    昨日の記事の続きです。いろいろあって遅くなりまして済みません(実質一日遅れですね)(追記:結局2日遅れになりました)。 気力体力の衰退著しく、とても纏まったことは書けないので簡単に。 「アキバ解放デモ」は、その参加者に対して総括を示せなかったということで、主催者側に多大な問題があったと思います。ネット上の批判(決して正当な証拠に基づいたとはいえぬ)に晒されたとはいえ、デモはネット上ではなく街頭で起こったことであるのに対し、ネット上の「世論」のごときものによって肝腎の街頭行動の意味を見失った、その不手際は批判されるべきです。 おそらく主催者側も、このデモがネットの力と何か密接な関係があると考えたのかもしれません。しかし、前回の記事で書いたように、どうもこの驚くべき動員の裏には、ビラ撒きというグーテンベルク以来の? 古典的手段が少なからず奏功していたんじゃないかと思われる節があります。 ネット

    続「アキバ解放デモ」一周年 ネットとの付き合い方に関してなど | 筆不精者の雑彙
    crowserpent
    crowserpent 2008/07/04
    古澤書記長が相変わらずすぎる件について。
  • 坂のある非風景 傷の共有

    Author: M ペンを折ることさえ、ここではもう「別の手段による詩の継続」を意味しているにすぎないという宿命に、それからも耐え続けた。 freezingm▽gmail.com ■犠牲とはなにか。「他者の傷を癒すこと」である。他者というのは大文字の他者も含むので、いつもそこが問題になる。アメリカによって傷を負わされてきたイスラム諸国の傷を癒すためにムスリムは貿易センタービルに突入し、その事件で傷ついたアメリカ(の威信)の傷を癒すためにアメリカは国民から軍人をせっせと作りだしてアフガニスタンに侵攻する。ここにあるのは暴力に暴力で応じたという動物学的な、条件反射的な構図ではなく、犠牲に犠牲で応じるというあまりに心理学的な、人間的な構造だった。 ■そして犠牲について考えることから行き着くのは「傷の共有」といった問題である。ここでは大胆に、その傷の共有こそがイデオロギーの基盤を形作るのではないか

    crowserpent
    crowserpent 2007/06/15
    日本とアメリカのブロゴスフィアの違いに見る、「意見表明」の持つ意味の差について。
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