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事件と歴史に関するcubed-lのブックマーク (7)

  • 「九大生体解剖事件」で「人肉試食」の事実はなかった。しかし「生体解剖」は間違いなく行われた。そして…… - kojitakenの日記

    2012年8月15日付の毎日新聞のサイトに下記記事が掲載された。 http://mainichi.jp/select/news/20120816k0000m040050000c.html 九大生体解剖事件:「戦争は人を狂わす」最後の目撃者語る 1945年5月、大分、熊両県境に墜落したB29搭乗の米兵8人が次々と旧九州帝国大(現九州大)医学部に運ばれ、やがて死亡した。連合国軍総司令部(GHQ)が「類例ない野蛮さ」と表現した「九大生体解剖事件」。医学生として立ち会った福岡市の医師、東野利夫さん(86)は何を目撃し、何を思ったのか。「戦争は人を狂わせる。悲惨と愚劣しか残らない」。67年後の今、東野さんは改めて平和の尊さを訴える。 東野さんは1945年、同大医学部に入学。約1カ月後、配属された解剖学教室で、事件は起きた。「手術する場所を貸してほしい」。外科医から解剖学教室の教授に連絡があった。数

    「九大生体解剖事件」で「人肉試食」の事実はなかった。しかし「生体解剖」は間違いなく行われた。そして…… - kojitakenの日記
  • 朝日新聞襲撃犯、名乗り出る…87年阪神支局で発生 - 芸能:ZAKZAK

    朝日新聞襲撃犯、名乗り出る…87年阪神支局で発生 すでに時効、実名公表し詳細語る 1987年5月、朝日新聞阪神支局に何者かが押し入り散弾銃を乱射、記者1人が死亡した「赤報隊事件」(時効)の実行犯を名乗る男が、29日発売の週刊新潮に実名で手記を寄せていることが分かった。今年1月、別件で4年間収監されていた網走刑務所を出所した男は昨年1年間、同誌と情報を交換。収監先の刑務所では、朝日新聞記者2人と特別面会もしていたという。 記事によると、男は都内の元右翼構成員。誰もが知る“公的な組織に属する人物”から「朝日を狙ってくれ」と金で依頼され、「東京社」「阪神支局」「名古屋社寮」「静岡支局」の順に襲撃(静岡支局は爆破未遂)。当初言われていた怨恨や思想的背景はなく、記者1−2人を殺害することのみが目的だったという。 また、一連の朝日新聞襲撃事件と同じ「警察庁指定116号事件」に後に指定された「リクル

    cubed-l
    cubed-l 2009/01/28
    真偽は?
  • ブログちゃんねる:戦後日本で起きた最大の殺人事件ってなんだ?

    1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/08/28(火) 08:06:28.34 ID:fIc0bTRp0

    cubed-l
    cubed-l 2007/08/30
    酷いと思える事件は数多いが、阻止できた可能性を考えると栃木リンチ殺人、桶川ストーカー殺人を忘れるわけにはいかない
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

    cubed-l
    cubed-l 2007/08/21
    間違いがあるな。「歯のホーロー質」は帝銀事件
  • 小学生がレイプする : 少年犯罪データベースドア

    2007年03月27日22:27 小学生がレイプする AVと同じことしたかった…小4男児が同級生を暴行 兵庫県尼崎市の市立小学校で昨年11月、4年の女子児童=当時(10)=が同学年の男子児童=同=に呼び出され、男児宅で性的暴行を受けていたことが27日、分かった。男児はアダルト映像に触発され、「同じことをやってみたかった」と話しているという。(後略) ZAKZAK 2007/03/27 引用 ということで、小学生のレイプ事件、強制猥褻事件をまとめてみました。 昭和41年(1966).4.9〔13歳が主犯の集団レイプグループ〕は、中1になってから9日目の逮捕で、小6の時から集団レイプをしていたわけです。 小学生の犯罪は少年犯罪データベース 13歳以下の犯罪を、 逆に小学生が被害者となった性犯罪は幼女レイプ殺人を犯す者たちをご覧ください。 昭和26年(1951).2.6〔中学生の桃色グループ 読

    小学生がレイプする : 少年犯罪データベースドア
  • ネットで語り継がれる機長の言葉、事故の記憶

    コントロールを失った飛行機は、右旋回や左旋回を繰り返しながら不安定な飛行を続けていた。それでも機内には、懸命な操縦を続ける機長や副操縦士たちがいた。 緊張の続く現場の会話の中で、やがて機長は誰にいうともなくつぶやく。 「これはだめかも分からんね」 1985年8月12日、日航空123便は御巣鷹の尾根に墜落した。今年はそれからちょうど20年目にあたる。墜落による犠牲者は520人に上り、日航空史上では最悪の事故だと言われている。 年月が過ぎたとはいえ、いまWeb上で検索すれば事故の情報をいくらでも収集できる。ネット上では、当時の事件を報じる新聞画像、墜落現場の写真などが見つかる。たった4人の生存者のうちの1人による証言なども読むことができる。 そんな中に、操縦席の会話を記録したとされるボイスレコーダーの音声を公開しているサイトがある。異常発生から墜落まで、約30分の音声を短くまとめて再生した

    ネットで語り継がれる機長の言葉、事故の記憶
    cubed-l
    cubed-l 2007/03/20
    忘れられん
  • http://blog.drecom.jp/akky0909/archive/707

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