平素より「はてなハイク」をご利用いただき、ありがとうございます。 「お題でつながるミニブログ」としてご利用いただいていた「はてなハイク」は、2019年3月27日をもちまして、サービスの提供を終了させていただきました。 これまでご利用いただきましたユーザーの皆さまに深く感謝いたします。 誠にありがとうございました。 詳しくは下記をご覧ください。 http://labo.hatenastaff.com/entry/2018/11/19/113653 株式会社はてな
JR南浦和駅に停車した、京浜東北線で最後の209系電車を撮影しようとする鉄道ファンら=平成22年1月24日午後(豊吉広英撮影 写真を撮ったり、遠くまで旅行したり、ダイヤを眺めたり…。こんなさまざまな楽しみ方がある鉄道。最近は女性の愛好家も増えるなど鉄道ファンの数は増加傾向にあるようだ。ただ、人気上昇にあわせるように一部でマナーが問われる事態も発生している。さらには単なる迷惑行為にとどまらず、犯罪としか言えないような行為も。多くの良心的なファンからは「鉄道を楽しむ場を自ら少なくする行為だ」と懸念する声が高まっている。彼らは、なぜ暴走してしまうのか−。(豊吉広英)ホームの先端にカメラの砲列 狙うは丸いヘッドマーク 1月24日、神奈川県と埼玉県の間を結ぶJR京浜東北線。平日なら通勤通学客で混雑するこの路線も土日祝日の昼間となれば、そう多くの乗客はない。日曜日のこの日も、多くの列車は閑散としていた
絵馬納所には戦国時代の武将、伊達政宗やその家臣、片倉小十郎らがアニメ風に書かれた絵馬が多数奉納されている=仙台市青葉区の宮城県護国神社(豊吉広英撮影) 戦国時代を題材にしたゲームソフトのヒットをきっかけに、若い女性らに広がる戦国武将ブーム。主要キャラクターの武将ゆかりの土地を訪れる「武将萌え」の女性観光客が後を絶たないなか、伊達政宗の居城だった仙台城跡にある宮城県護国神社(仙台市青葉区)では最近、政宗のアニメ風キャラクターのイラストを描いて奉納された絵馬がずらりと並んでいる。ただ、護国神社は国に命をささげた郷土出身者の御霊が祭られる場所。神社の性質とイラストとのギャップに、関係者は複雑な表情だ。 「政宗さまに会いに来ました!!」「BASARA最高やねん!!」 宮城県護国神社の鳥居脇に置かれている絵馬納所。ここには、家内安全や学業成就などの願い事が書かれた絵馬を圧倒するように、片目に眼帯をし
昨日(08年6月18日)、評論家の大塚英志が朝日新聞の文化面で書いていた「この20年で失われたもの 宮崎勤死刑囚の刑執行に寄せて」が興味深かった。 いまのナウなヤングは皮膚感覚として理解していないかもしれないけど、大塚って、オタク論壇というものが初めて出現した1989年から数年は斯界の主要プレイヤーであり続けた。 そもそも「オタク論壇」が生まれたきっかけが、宮崎勤による東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件だったというのは言うまでもない。その数年前から、大塚は『システムと儀式 (ちくま文庫)』(単行本は1988年)と『定本 物語消費論 (角川文庫)』(同1989年)に連なる一連の論考で、アニメマニアのみならず、業界関連者からもかなり注目されていた。押井守も、彼の著作をかなり読み込んでいたと後のインタビューに答えている。これまでの「大きな物語」が終焉すると共に、消費者がその物語を自己流に解釈して消費
ボクはヒステリーを見るとヒステリーを起こしてしまう程ヒステリー嫌い。ギー!ボクのヒステリー嫌いを成形した事件の事。まとめきれなかったから長いよ! ホラー黄金期 アメリカで「13日の金曜日」が公開された80年代初頭以降『安く作れて大きく儲かる』スラッシャーホラー映画は大量生産され、日本にも輸入された。まだ小学生だったボクがスラッシャーホラーの洗礼を受けるのはもう少し後。テレビの映画番組での放映が始まってから。 それまでの「エクソシスト」や「オーメン」の様にもったいぶった展開や、ハマーホラーの様に陰気なオッサンが古城で高笑いする様な古めかしさの無い、オッパイをプルプルさせたネエちゃんがモリで威勢よく串刺しになり、ナタで首をはねられた。 84年の初頭に公開された「死霊のはらわた」が決定打となり、さらにアダルトビデオ台頭によるビデオ業界の好景気とソフト不足が後押しし、ホラー映画/スプラッタムービー
radioさんのbrettspierler内のカテゴリ ラヂオ部 ああ、やっぱりいたんだな、あんな高校生活を送れていたやつらは。くそう。 僕は究極超人あ〜るにガツンとインプリントされた人間なのですが、何を刷り込まれたかというと、幸福な生活のモデルです。 もっと遡るとアーサー・ランサム全集とかになるんですが、つまり、自分か自分プラスアルファぐらいの人間を含む幸福な情景、モデルルームといいますか、この状況に放り込まれたら俺はかなり幸福に生活できる、という、そして現実の物理的・社会的法則に抵触しておらず、<傍点>ありえるという情景です。 一般に物語の中に含まれる状況の中で、視聴者がそこに放り込まれたとして幸福なものは、多くありません。いいかげんに言って、全体の1割ぐらいでしょう。エンドマーク直前の、ピンチをくぐりぬけてねえちゃんに抱きつかれたところとか、序中盤の息抜きタイムとかです。たいていの場
オタクの敵は誰か? などと、上の記事に関連して思ったことを徒然なるままに書いてみたいと思います。 そもそも岡田氏がわざわざオタキングを自称しオタクという概念を彼流の意味を付与して流布させたのは、仮想敵に対する宣戦布告という意味合いが大きかったみたいです。その当時のオタクの敵とは「世間」という体制でした。 宮崎事件での事実の捏造や事件に乗じた某ライターの存在によるネガティブキャンペーンによって、当時のオタクは今では考えられないような激しい弾圧を受けました。そこで氏は「オタク=エリート」という図式を打ち出しオタク公民権運動に乗り出したのでした。この当時オタクを社会に受け入れてもらうためには「世間」という大きな大きな敵を相手にパフォーマンスする必要があったのでした。 今でこそ「氏のような人がオタク=人とは違う特殊な人というレッテルを作り出し、オタクを自閉的な存在にしてしまった」という意見もありま
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