フクシマからの報告を続ける。今回は、2011年4月、村人約6200人が全村避難という悲劇に見舞われた福島県飯舘村の再訪記だ。今も村人の大半は村の外の仮設住宅や借り上げ住宅で避難生活を強いられている。 私は、拙著『福島飯舘村の四季』(双葉社)で村の四季の自然を紹介してから、今も春夏秋冬の自然の美しさを写真で記録するために村を訪ねている。今春も5月初旬にサクラの咲く風景を撮影した。そのとき、伊藤延由さん(70)を再訪した。同書の中で取り上げた、村に残って空間や土壌・植物の放射線量を計測し「自分で自分を人体実験する」と話していた人だ。それから3年が経って、伊藤さんはどうしているのだろうか。村の自然はどうなったのだろうか。 汚染地で農業をするとどうなるのか 車は細い山道をうねうねと登った。舗装路が尽きて砂利道になった。伊藤さんの「農場」は阿武隈山地の真ん中、標高628メートルの野手上山の山麓にある
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