タグ

関連タグで絞り込む (1)

タグの絞り込みを解除

戦争に関するd-plusのブックマーク (2)

  • マガジン9条『この人に聞きたい』小熊英二(1)

    膨大な量の資料にあたって〈日人〉や〈戦後〉の意味を 問い続ける小熊さんにとって、現在の9条をめぐる改憲論議は どのように耳に届いているのか、お聞きしました。 おぐま えいじ 1962年、東京都昭島市生まれ 東京大学農学部卒業後、出版社勤務を経て、1998年、東京大学教養学部総合文化研究科国際社会科学専攻大学院博士課程修了。現在、慶應義塾大学総合政策学部教員。専攻は、歴史社会学、相関社会科学(社会学、歴史学、国際関係論)。膨大な量の文献にあたって、当時の皮膚感覚の歴史にまで分け入ることで、<戦後>や<日人>といったコトバの意味の変容と変遷を明らかにし、社会が無意識に前提する言葉や概念の自明性を問い直している。著書に、『単一民族神話の起源――<日人>の自画像の系譜』(新曜社/サントリー学芸賞社会・風俗部門)、『<日人>の境界――沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮:植民地支配から復帰運動まで』(新

  • アメリカの戦争責任とハルノートの真実。: 日本人は知ってはいけない。

    昭和16年12月8日、日は米国との開戦に至った。 太平洋から東南アジア、インド洋にいたる広大な海洋を舞台とし日は史上例を見ない大戦争を戦った。 そして4年にも及ぶ「大戦争」は最終的に昭和20年8月15日、日の敗戦によってその幕を下ろした。 しかし何故日は国土の広狭・資源の有無・を無視してまで「日米開戦」に踏み切ったのか、常識では考え難いがそれらに関係無く日に開戦を選択させるべく仕向けたアメリカの『責任』がある。 「アメリカが日に送ったのと同一の文書を他国に送れば非力なモナコ公国やルクセンブルク公国でさえ必ずアメリカに対して武力をもって立ちあがっただろう」これは東京裁判でのパール判事の言葉である。 勝ち負けを度外視しても開戦を選択せざるを得ない理由こそがまさに『ハルノート』である。(正式名称、合衆国及び日国間の基礎概略)開戦前夜の昭和16年11月26日アメリカ国務長官 コーデル

  • 1